安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録(松澤祐然述)「付録 六字親様の歌」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。

※原文には、今日の目から見て差別語とみなすべき語彙や表現もありますが、著者が故人であること、当時の説教本であることも考慮してそのまま掲載しています。
 
前回の続きです。

付録 六字親様の歌

 此歌は大正二年春越後の某母に代わりて
 東京に在る愛兒のものとに書送りし者也
 
恋しきままにかき送る 母のいふこと聞てくれ
虚でかためた此世なり 誠づくめは六字なり
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


おまへは母を忘れても 母はおまへを忘れぬぞ
思ひどほしのこの母は よるひる常に称へずめ
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


称えつづける御六字は 我等がみらいの親様の
まちかね給ふ御胸より こいよきたれの御呼聲
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


この呼聲がただならぬ 尊き不思議のある事を
生々世々のはつごとに きくはわれらの大仕事
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ
  

我等は迷ひの凡夫にて 助かる縁のなきものを
無理にも助けてやり度と 大悲の親はいのちがけ
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ
  

いのちにかけて親様は 慈悲と智慧とは円満て
五劫永劫はてしなく 思案に修行をとげ給ふ
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


思案は不思議に成就して 弥陀のからだの有丈は
目にもみえざる呼聲の 名体不二となりたまふ
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


名と体とはべつなれど 仏けの徳ある六字なり
紙幣(さつ)と銭とは別なれど 銭の値打ちが紙幣にある
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


紙幣(さつ)に値打ちの付いたのは 御てんししまの御約束
六字に仏けの徳あるは 阿弥陀如来の御本願
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


本願ありたけ仏けなり ほとけ其まま廻向なり
廻向はすなはち六字也 六字の徳はいきほとけ
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ
  

いきた仏けに二つあり 目に見る仏は御浄土に
聞ゆる仏けは我が耳に 響く御聲は仏けなり
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


ひびく御聲が仏けなら 称る六字もほとけなり
六字がいきた仏けとは 不思議の中の不思議也
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


不思議のいきた御仏が 今は耳よりひびきいり
まちがはさぬの呼声が 間違なしとしられたり
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


知りた心はわれなれど 知れた仰せは仏けさま
心にほとけの宿られて にげる方なき此身なり
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


此身は親をわすれても 親に油断のあるものか
我等が動けば動くほど 聞こえた親はまもりづめ
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


護りどほしの御相たが 御六字さまぢやと知ぬ故
頼み心ろに身をやつし さびしき念仏称へたり
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


さびしきはづよ親様を 遠ひ向ふにたづねたり
今は六字のおやにあひ たのむ思ひに余念なし
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


余念なき身の仕合せは 忘れて暮すしたからは
親のすがたが恋しくば いつもあはるる御念仏
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


申す念仏のありだけが つもる御恩のまんぶ一
報謝と行ときくうへは 命ちをかぎり称ふべし
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


お前は都この旅のそら 母は田舎のわびずまひ
隔たる中にも隔てなき 六字の親をわするるなよ
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


お前も六字に助けられ 母も六字のうちにすむ
たとひ此世に別れても 未来は浄土に逢れます
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ


浄土参りの身とならば 波風あらきよわたりも
勇み勇んでつとめあげ 末の楽しみまちませう
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ
 
 以上

元本をご覧になりたい方は下記リンク先を参照下さい。

以名摂物録 - 国立国会図書館デジタルコレクション

以名摂物録

以名摂物録

一通り終わって

ふとした思いつきで始めた過去の説教本の書き起こしですが、やってみたところ思った以上に時間がかかってしまいました。以名摂物録は、前編と後編の二冊になっています。今回のエントリーで前編は終了です。
大正時代に出た説教本ということもあり、表現や譬喩で現在では使えないものもありますが、いいところはとてもよい本だと思います。後編に関しては、書籍を所有しておられたブログ読者の方から提供して頂きました。ちなみに、後編の方は近代デジタルライブラリーに掲載されていません。今後、エントリーに掲載していこうと思っています。

付録のおまけ

近代デジタルライブラリの方でも見ることができますが、以名摂物録の巻末に当時の法蔵館の出版物の紹介があります。その一部を転載します。説教本の類いはこのころ沢山出ていたようです。