五重の義の五とは、宿善、善知識、光明、信心、名号です。その五つはどこから出てきたものなのかといえば、覚如上人の口伝鈔、執持鈔、存覚上人の浄土見聞集などがあげられます。
そこからさらに経典にその根拠を求めると本願成就文になるといわれています。そのなかの 「聞其名号 信心歓喜」のお言葉がそれです。
「聞」をひらくと宿善
「聞」ということには、宿善が前提としていわれます。
もし人、善本なければ、この経を聞くことを得ず。
http://goo.gl/deTDr5
清浄に戒を有てるもの、いまし正法を聞くことを獲。 (大無量寿経下巻_往覲偈)
(現代文)
もし人が功徳を積んでいなければ、この教えを聞くことはできない。
清らかに戒を守ったものこそ正しい教えを聞くことができる。
過去においての功徳を積み重ねたり、戒律を守って来た人が法を聞くことができるのだと言われています。そこで「聞其名号」の「聞」は開くと宿善が出てきます。
「其」をひらくと善知識
次に「聞其名号」の「其」は十八願成就文の直前の十七願成就文を指した言葉です。
十方恒沙の諸仏如来は、みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまふ。 (大無量寿経下巻_十七願成就文_浄土真宗聖典註釈版P41)
http://goo.gl/Jltt22
十方世界・大宇宙のガンジス河の砂の数ほどおられる仏様方は、みな阿弥陀仏の名号を讃嘆しておられます。そして、それら阿弥陀仏の名号を褒め称えられる諸仏が善知識であるといわれています。
それについて親鸞聖人は教行信証化土巻に、涅槃経を引いておられます。
またのたまはく(涅槃経・徳王品)、「善男子、第一真実の善知識は、いはゆる菩薩・諸仏なり。(教行信証化土巻(本)_浄土真宗聖典註釈版P409)
http://goo.gl/VaXdn9
諸仏菩薩が善知識であるといわれています。
「名号」をひらくと光明・名号
名号と光明は、別のものではなく本来一体のものです。そこで、親鸞聖人は「弥陀如来名号徳」に名号の徳を書かれるにあたって十二光の解説をされています。
本書の題名が「名号徳」とあり、十二光の釈から名号の釈に移っていることからみて、光明は名号の徳義をあらわすものであるという領解を示されたもので、一部を欠いているとはいえ大切な聖教の一つである。(浄土真宗聖典註釈版P726)
http://goo.gl/F9YXo2
光明については親鸞聖人は、十二光をあげておられます。そして、阿弥陀仏を智慧の光そのものと言われています。
阿弥陀仏は智慧のひかりにておはしますなり。このひかりを無碍光仏と申すなり。(弥陀如来名号徳_浄土真宗聖典註釈版P730)
http://goo.gl/r33E17
阿弥陀仏は「智慧のひかりにておはします」といわれ、光明そのものといわれています。よって、名号も光明も名前は違っていても別々のものが二つあるのではなく一体となったものです。真宗では名号を「声になった阿弥陀仏の働き」光明を「声にならない阿弥陀仏の働き」と言われることがありますがそのことをいわれたものです。
そして、「聞其名号 信心歓喜」とあるように、「聞其名号」のあとに「信心」とあります。そこで「聞其名号 信心歓喜」のご文に、「宿善」「善知識」「光明」「名号」「信心」の五重の義はすべておさめられていることになります。
長くなったので、それぞれの項目についてはまた、別のエントリーとして書きます。