安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「阿弥陀仏の救いの事実を知らないままで死んでいくのは、やっぱりダメなのでしょうか。」(ソーサさんのコメント)

ソーサさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

ソーサ2013/02/12 19:32
今回の解説を読んでいますと、太陽が私を照らしているのが紛れもない事実ならば、別に私たちのほうで「暑い」と気づかなくても、そんなに問題ないのでは…、という疑問がわいてきます。
阿弥陀仏の救いの事実を知らないままで死んでいくのは、やっぱりダメなのでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130210/1360445759#c1360665173

たとえではありますが、「暑い」と気付かなくてもと言われますが、照らされれば暑いものです。

ハッキリ言いますが、「阿弥陀仏の救いの事実を知らないままで死んでいく」ままで浄土往生はありません。
また、そのように訪ねられるソーサさんは、浄土往生したい方ですか?

ソーサ 2013/02/12 19:35
一向専念無量寿仏ということを、やはり徹底していかなくてはならないのでしょうか。
別の宗教でも阿弥陀仏の救いに気づくというのと同じような、すなわち名称は異なっても同じような境地はありうるのでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130210/1360445759#c1360665325

「一向専念無量寿仏を徹底」というのが、どのようなことを指して言われているかよくわかりませんでした。某会のように、諸仏菩薩諸神を礼拝しないことだけそういわれるのは間違いです。
一向専念無量寿仏とは、御文章で言えば「一心一向に弥陀をたのむ」ことです。

言葉を変えると、阿弥陀仏の「ただ今助ける」の仰せをそのまま聞くことを言います。外の仏や菩薩や神に向かないといっても、その後何が残るのかが問題です。ソーサさんのいわれるように「別の宗教でも」ということになると、それは「阿弥陀仏の仰せ」ではありません。


阿弥陀仏の「お前をただ今救う」の仰せをそのまま聞くのが信心です。それは、外の宗教で「同じような境地」になることはありません。私を浄土往生させ仏に生まれさせると願われているのは阿弥陀仏のみです。