安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

一向専念無量寿仏の意味について(岡村さんのコメント)

岡村さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

一向専念無量寿仏の意味を教えてください。この言葉は仏教の結論と言っていいのでしょうか。
つまるところ南無阿弥陀仏ということなんでしょうが、南無阿弥陀仏だけが宇宙の唯一絶対であると言い切ってもいいものなのでしょうか。
他宗教に対するスタンスはどうあるべきなのでしょうか。(岡村さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110125/1295904927#c1296005285

一向専念無量寿仏の意味ですが、浄土真宗聖典(註釈版)巻末註から引用しますと

いっこうせんねん(一向専念)阿弥陀仏の本願を信じて、ひとすじに専らその名号を念ずること、一向専修と同意。

とあります。

おほよそ「一向専念無量寿仏」といへるは、『大経』の誠説なり。諸行をまじふべからずとみえたり。「一向専称弥陀仏名」(散善義 五〇〇)と判ずるは、和尚(善導)の解釈なり。念仏をつとむべしときこえたり。このゆゑに源空聖人このむねををしへ、親鸞聖人そのおもむきをすすめたまふ。 一流の宗義さらにわたくしなし。まことにこのたび往生をとげんとおもはんひとは、かならず一向専修の念仏を行ずべきなり。(持名鈔5・浄土真宗聖典(註釈版)P1003

大無量寿経に、一向専念無量寿仏と説かれたことを、善導大師は「一向専称弥陀仏名」と解釈されました。それを法然上人が教えられて、親鸞聖人もその通り勧められました。
ただ今往生を遂げる身になろうと思うひとは、必ず阿弥陀仏の本願を信じ、一筋に念仏を称えなさいといわれています。

仏教の結論という言葉は、言葉の定義が今ひとつ不明なところがありますので、どうお答えしたらよいかよくわかりません。どういう意味で書かれたのか、もしわかられましたらまたコメントをいただければ幸いです。

本願を信じ念仏せよというのが、一向専念無量寿仏という意味です。これはお釈迦様の、出世本懐の教えです。こういう場合は、出世本懐=結論というのは適当ではありません。
結論*1というのは、調査や考えた末での最終的判断や、推論において前提から導き出された判断をいいます。お釈迦様は阿弥陀仏の本願を、調査や考えた末や推論で仰ったのではありません。

「南無阿弥陀仏だけが宇宙の唯一絶対であると言い切ってもいいものなのでしょうか。」については、仏教で教えられる修行ができない凡夫が、このたび浄土往生するただ一つの法です。

他宗教に対しては、どうぞ阿弥陀仏の本願を聞いてくださいというスタンスであって、聞かない者は討ち滅ぼそうという態度はありません。他宗教の人が自分たちの教えを信じよといってきても、私は信じないというだけのことです。現在何を信じている人も、御同朋とみて、敵視する必要はないと思います。