安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「私自身、初めて親鸞聖人の教えに触れたのが親鸞会ですから、すでに退会したとはいえ縛られているのかもしれません、」(さっちゃんのコメント)

さっちゃん 2012/03/14 00:33
皆様

様々なコメント、ありがとうございます。
私自身、初めて親鸞聖人の教えに触れたのが親鸞会ですから、
すでに退会したとはいえ縛られているのかもしれません。

「至りて硬きは〜」のお言葉通り、私のような者でも
信心決定できると思って今後もブログを見させてもらおうかなと思います。

ありがとうございました。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20120310/1331358919#c1331652789

私も、最初に浄土真宗の教えとして聞いたのが親鸞会でしたから、この「縛られている」という感覚はよく分かります。真宗用語を単語としてはいろいろと親鸞会で覚えましたが、定義は本来の真宗用語とは違います。

特に、「信心」(関連して二種深信)「宿善」「三願転入」は、親鸞会独特の意味で会の中で使われているので、最初からその意味にどっぷりつかっていると、いざ親鸞会を離れても、言葉の意味から理解しなおさないといけません。親鸞会在籍者が、本願寺派から出ている真宗の本を読んで「何が書いてあるかよくわからない」という感想を持つのは、もともと頭に入っている真宗用語の定義が「親鸞会定義」でインプットされているからです。そこで、親鸞会講師部員は「やっぱり学者の書いた本はだめだ。正しく教えを説いているのは高森顕徹先生だけだ」などと言っています。しかし、それは大きな勘違いです。なぜなら、言葉の定義を「親鸞会定義」のまま一般の仏教学者の書いた本を読んでも、著者の意図は理解出来ないからです。

そうなると「一から勉強しなおさないと救われないのか、よほど時間がかかるだろう」と思う人もあります。またそれも間違いです。

阿弥陀仏の本願は、南無阿弥陀仏となって私のところに届けられています。その南無阿弥陀仏が、私を浄土に往生させて下さるのですから、私の理解は手助けにはなりません。ただ今救う本願を、ただ今そのまま聞いて救われて下さい。