安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「ただ今救う」というのは御聖教の言葉だと何になるでしょうか?(うおーんさんのコメントより)

うおーんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

教えてください。「ただ今救う」というのは御聖教の言葉だと何になるでしょうか?いくつか教えていただければ幸いです。(うおーんさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110824/1314174352#c1314226550

阿弥陀仏が「ただ今救う」と呼びかけられていることについて、一番わかりやすいのは二河白道の譬えに書かれたお言葉だと思います。

二河白道の譬えより

また西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉と。(教行信証信巻より・浄土真宗聖典(註釈版)P224

西の岸の阿弥陀仏が、私に向かって呼びかけています。
ただ今白道を目の前にしている人に呼びかけられるお言葉ですから、ただ今です。


「なんぢ」とは、私に向かって言われているお言葉です。

「汝」の言は行者なり(愚禿鈔下・浄土真宗聖典(註釈版)P538)

と言われている通りです。私に向かって、私の名前をめがけて言われているお言葉です。
「うおーんさん」だったら、「うおーんさん」と名指しで呼ばれているということです。

どう呼ばれているかと言えば「一心正念にしてただちに来たれ」と呼びかけられています。
「ただちに」ですから「○○してから」でも、「○○日後に」でもありません。ただ今来たれと呼びかけられています。

親鸞聖人は「ただちに(直ちに)」について、以下のように解説されています。

「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。(愚禿鈔下・浄土真宗聖典(註釈版)P538

回り道をせずに真っ直ぐに来なさいということです。また、方便を捨てて他力に帰しなさいという喚び声だと言うことです。
「○○してから」という回り道をせずにただ今来なさいと呼ばれています。方便を捨てて他力に帰するのにも、「○日後に」という時間は必要ありません。「方便を捨てる」ために、さらに「○○して」ということもありません。ただ今方便を捨てて他力に帰せよというお勧めです。

教行信証行巻より

時間的経過や、条件を必要としないので、親鸞聖人も南無阿弥陀仏とは、どういう呼びかけかについて

ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。(教行信証行巻・浄土真宗聖典(註釈版)P170

勅命とは、逆らうことが出来ない大変強い命令ということです。招喚はすでに勅命として出されているわけですから、聞いた側は「○○してから来いということか」「○日後に来いと言うこと」とはなりません。ただ今呼ばれているということです。

本願力と私は常にただ今接している。

阿弥陀仏の本願はすでに南無阿弥陀仏となってすでに私に働きかけてくださっています。ずっと昔から働きかけてくださる南無阿弥陀仏と私の接点は、ただ今この時以外にはありません。「○日後」という先のことでもなく、「○○してから」という条件を満たした後でもありません。ただ今現に「直ちに来たれ」とよびかけられているのですから、疑い無く聞けばただ今必ず救われます。