安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「今苦しんでいる人がいるということは無量仏と言われる阿弥陀仏の力といっても限界があるということでしょうね。」(ーさんのコメント)

ーさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

今苦しんでいる人がいるということは無量仏と言われる阿弥陀仏の力といっても限界があるということでしょうね。
無量なのは、どんな時、どんな場所にでも救いの手をさしのべているということであって、手を強制的にとらせる力まではもちあわせていないですからね(-さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110815/1313397940#c1313440536

阿弥陀仏の力に限界はありません。
たしかにーさんが言われるとおり「手を強制的にとらせる力まではもちあわせていない」ように思われるかもしれませんが、つねにそのように手を取らせるように働いておられるのが阿弥陀仏です。
時間の前後がありますが、私の方になにかを要求される阿弥陀仏ではありません。救いの方については、すべて阿弥陀仏のお働きです。
ーさんは、阿弥陀仏のお働きを知られないのかもしれませんが、阿弥陀仏の本願力廻向の働きまでも否定するのは言い過ぎです。私の手をとり、そのまま来いよと常に働いておられるのが南無阿弥陀仏のお働きです。

(37)
願力無窮にましませば
 罪業深重もおもからず
 仏智無辺にましませば
 散乱放逸*1もすてられず(正像末和讃37

願力無窮といわれるように、阿弥陀仏の本願力には限界はありません。また、仏智無辺といわれるように、どんな人でも捨てられることはありません。

聞く気もないものに、聞く気を発させてくださるのは、本願力の働きです。どうでもいいと思っていた人が、なんとか聞かずにおれないと思わせるのも本願力のお働きです。

時間の前後はあったとしても、すべて本願力廻向のお働きです。

*1:【左訓】「散り乱る、ほしきままのこころをいふ」