安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「(寝たきりの母に)耳元でお念仏を称えたり御文章を読んだりしているのですが、はたしてこれが彼女の浄土往生に繋がるのでしょうか?単なる私の自己満足にすぎないのでしょうか?」(頂いた質問)

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Peing-質問箱-

私には要介護度5の母親がおり、今は介護施設にあずかってもらってます。寝た切りで言葉も発せず、私が面会に行ってもわ | Peing -質問箱-
Peing-質問箱-に頂いた質問です。そちらにはこのように書きました。

実際に浄土往生されるかどうかは、お母様と阿弥陀さまの関係のことなので第三者にはわかりません。ただ、そうやって近くでお念仏を申されたり、御文章を読まれているのは必ず耳には入っています。決して、ただの自己満足ではありません。

これに加えて書きます
質問された方におかれましては、私も祖母が似たような状況で2019年に亡くなったので心中お察し申し上げます。


お母様が、寝たきりで言葉も発せず、面会に行っても相手が誰かわからないというのは、面会に行った人にとってもつらい状況だと思います。私も、祖母の入った特別養護老人ホームに面会に行くと、面会場所に似たような状況の人も何人もあり、面会に来た家族が一方的に話しかけているのをよく目にしました。


そこで、お母様がなんとか浄土往生されるようにとお念仏を称えられたり、御文章を読まれているとのことですが、それは耳には入っています。ただ、浄土往生については南無阿弥陀仏のお仕事であって、私の仕事ではありません。


病気にたとえると、病気を治すのは医者や薬の仕事です。
貴方がまだ子供のころ病気になると、お母様は貴方を病院へ連れていってくれたと思います。それは、どれだけ子供のことを日々案じていても母親に病気を治す手段がないからです。ですから、病院へ連れて行くのは母親の役目ですが、その子供の病気を治してくれるのは医者であり薬の仕事です。医者のところまで連れて行けば、母親は医者にまかせるしかありません。


貴方が今、お母様の耳元でお念仏を称えたり御文章を読んだりするのは、丁度病気の我が子を親が病院へ連れて行き、医者に引き合わせているようなものです。かつて、お母様がされたことを、別の形で貴方がお返しをしているということです。それは、ただの自己満足ではなく恩返しだと思ってください。


お念仏を耳元で称えられるところまでは、私の方でできることです。実際に、お母様が浄土往生されるかどうかは、南無阿弥陀仏のお仕事なので、貴方の仕事ではありません。どうしても、心配でしたら自身が往生浄土を遂げて確かめてください。

南無阿弥陀仏は、ただ今私を救ってくださいます。

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願力無窮にましませば
 罪業深重もおもからず
 仏智無辺にましませば
 散乱放逸もすてられず(正像末和讃)

どんなものでも、捨てられないのが阿弥陀仏です。