安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

お念仏は「なむあみだぶつ」「まもあみだぶつ」「なんまんだぶ」どれが正しいのでしょうか?(さくらさんのコメント)

さくらさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

「お念仏」は
「なむあみだぶつ」
「なもあみだぶつ」
「なんまんだぶ」
どれが正しいのでしょうか?(さくらさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110805/1312533127#c1312554910

「南無阿弥陀仏」をどう読むのかについて、どう読まれても間違いではありません。
ただ、本願寺派の教章には南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)とあります。そのため、本願寺派発行の浄土真宗聖典(註釈版)は、「南無阿弥陀仏」と書かれている部分には「なもあみだぶつ」とふりがなが振ってあります。
ではいつでも、どんなときでも「なもあみだぶつ」なのかというと、そういう規則があるのではありません。本願寺派の日常勤行聖典でも「讃仏偈」の「我行精進忍従不侮」の次にでてくる「南無阿弥陀仏」は「なーまーんだーぶー」とふりがなが振ってあります。縮めると「なまんだぶ」です。
真宗新辞典では「南無阿弥陀仏」は「なむあみだぶつ」の部分に解説がかかれています。

「なむあみだぶつ」「なもあみだぶつ」「なんまんだぶ」でも、称え方で功徳が変わるわけではありません。またどんな読み方や節で称えるのかということを親鸞聖人は教えられていません。

祖師の御意巧としては、まつたく念仏のこわびき*1、いかやうに節はかせ*2を定むべしといふ仰せなし。ただ弥陀願力の不思議、凡夫往生の他力の一途ばかりを、自行化他の御つとめとしましましき。音声の御沙汰さらにこれなし。(改邪鈔・浄土真宗聖典(註釈版)P934

改邪鈔に覚如上人が書かれているように、親鸞聖人は「音声の御沙汰さらにこれなし」といわれています。もちろん勤行となれば、それぞれ読み方がありますが、お念仏はどう称えてもそれによって功徳が変わるというようなものではありません。

阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏となって私の口から出て下さるのが念仏です。称えやすいように「なんまんだぶ」でも「なもあみだぶつ」でも称えられたらいいと思います。こうでなければならないというような堅苦しいものではありません。「正しく称えないと失礼になる」というものではありません。
阿弥陀仏が私に呼びかけて下さる声ですから、我が計らいを入れずに南無阿弥陀仏と念仏されたらいいと思います。

*1:念仏するときの声ののばし具合。

*2:声明(仏教の儀式音楽)の節の長短高低の定め。