安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「なぜ口称念仏を勧めてられるのか分かりません。声に出せば救われやすいとか、心で称えるのが声に出せない方への救済処置と思えば腑に落ちますが、阿弥陀様がその様な区別をするとは思えません。」(でんさんのコメントより)

前回のエントリーについて、
anjinmondou.hatenablog.jp

でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

でん 2019-06-24 11:03

私には幸いにも、声に出して称えることができます。
声に出せない場合には、心で称えています。

ですが、内心、心で称えても救われるとすると、
なぜ口称念仏を勧めてられるのか分かりません。
声に出せば救われやすいとか、
心で称えるのが声に出せない方への救済処置と思えば腑に落ちますが、
阿弥陀様がその様な区別をするとは思えません。
この疑問、解決できないでしょうか。

前回のエントリーにも書きましたが、南無阿弥陀仏が救って下さるという言い方で言えば、南無阿弥陀仏それ一つが救って下さいます。私が称えた回数でも、私が念じた回数でもなく、南無阿弥陀仏が救って下さいます。

浄土真宗では、信心さだまるとき往生がまた定まると教えられます。
そのことは、親鸞聖人のご和讃に

至心信楽欲生と
 十方衆生をすすめてぞ
 不思議の誓願あらわして
 真実報土の因とする (浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版 浄土和讃(58)

https://bit.ly/2KH3o2s

と書かれています。

そこで、なぜ阿弥陀仏は本願で念仏を勧められるのかという疑問が起きてきます。でんさんが、コメントで書かれているように、念仏の数や方法によらず信心一つで救われるのならば、なぜ念仏を勧められるのでしょうか。

そのことについて、信相続の易行をあらわすのだと真宗では理解をされてきました。
この信相続の易行というのは、信心が定まった上では、その信心は死ぬまで続くのですが、それが念仏となって相続して表れると言うものです。しかも、その念仏は歩いていても、座っていても、寝ていても、また朝でも昼でも夜でも、いつでもどこでも称えられるので易行と言われます。ですから、状況という意味で言えば、葬式のような悲しい時であっても、身内の祝い事のような嬉しい時でも、家でも仕事場でも、旅行先でも、一切そういうことに関係なく称えやすいのが称名念仏です。


その意味で、この私がいついかなる場所でも、状況でも、喜べるまた、悲しいときにもこの南無阿弥陀仏があればこそと支えるようにして下されるのが信相続の易行という意味で、本願において念仏(乃至十念)を誓われたものだというように真宗ではいわれてきました。(参照 安心論題「十念誓意」)

そこで、本願における「乃至十念」について親鸞聖人はこのように書かれています。

「乃至十念」ともうすは、如来のちかいの名号をとなえんことをすすめたまうに、遍数のさだまりなきほどをあらわし、時節をさだめざることを衆生にしらせんとおぼしめして、「乃至」のみことを「十念」のみなにそえてちかいたまえるなり。如来より御ちかいをたまわりぬるには、尋常の時節をとりて、臨終の称念をまつべからず、ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしと。(浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版 P644 尊号真像銘文)
(現代語版)
「乃至十念」というのは、阿弥陀仏が本願に誓われた名号を称えることをお勧めになるにあたり、念仏の数が定まっていないことをあらわし、また念仏する時を定めないことをすべてのものに知らせようとお思いになり「乃至」の言葉を「十念」の名号、すなわち十回の念仏にそえて御誓いになったのである。阿弥陀仏からこの本願を頂いたからには、念仏は平生の時が大切であって臨終を待つことはない。ただ阿弥陀仏が誓われた「至心信楽」に深くおまかせしなければならないというのである。

https://bit.ly/2RLPmO5

阿弥陀仏は、本願に念仏を勧めておられますが、その数については何も言われていませんし、時間も限定されていません。救われる上では、至心信楽にまかせよといわれています。その意味で、念仏は信相続の易行と言われます。


私が称えているところの南無阿弥陀仏は、すでに阿弥陀仏が本願を建てられ、成就されたという点において、私が何回称えるとか、口で称えるか心で念じるかとか、どこで称えるという条件を加える必要は全くありません。私の側では、全く手出し無用という意味でこれほど易く救って下さるものはないので易行とも言われます。


繰り返しになりますが、でんさんのコメントで「なぜ口称念仏を勧められるのか」という点については、私を救う条件という意味ではなく、救われた上での信相続の念仏という意味で勧められました。加えて言えば、信心も念仏も別のものではなく、ともに南無阿弥陀仏です。



続きのエントリー
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