安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

妄想妄念がいろいろと沸いてきてそのうちの一つとして阿弥陀仏とか御念力等の妄想も沸いてきたのではないでしょうか。(123さんのコメントより)

123さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

妄想妄念がいろいろと沸いてきてそのうちの一つとして阿弥陀仏とか御念力等の妄想も沸いてきたのではないでしょうか。(123さんのコメントより)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090605/1244191708#c1311730003

阿弥陀仏や阿弥陀仏のお働きは、妄想とは違います。妄想は自分で生み出すものですが、他力の法は自分で生み出すものではなく、自分を離れたところにあります。

言葉を換えれば、自分で妄想妄念をおこすより先にすでに私にはたらいて下さっているのが、阿弥陀仏であり阿弥陀仏の救いの働きです。

そのため、他力信心も私の側での行いは何も必要としません。
蓮如上人のお歌*1

たのませてたのまれ給ふ弥陀なれば、わがはからひのいなる成けり。
たのませてたのまれたまふ弥陀なれば、たのむこころもわれとおこらず。

とあるのも、そのことをいわれたものです。

こうあって欲しいという願望でも、こうあったら困るという想像も必要としません。私を信じさせるのも、救って下さるのも阿弥陀仏であって、私の側にはなにもありません。自分で作り上げた信心でも、仏様でもありませんから、妙好人の浅原才市さんは「胸にさかせた信の花 弥陀にとられて今ははや 信心らしいものはさらになし」と歌いました。

*1:真宗聖教全書5・拾遺部下・P509