安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

年の瀬に読んでもらいたい「御文章3帖目2通 如説修行・成仏」

この安心問答で多いお尋ねは、「どうしたら阿弥陀仏に救われるのか」ということです。

それについて、蓮如上人の御文章3帖目2通から紹介します。

 それ、諸宗のこころまちまちにして、いづれも釈迦一代の説教なれば、まことにこれ殊勝の法なり。もつとも如説にこれを修行せんひとは、成仏得道すべきことさらに疑なし。(御文章3帖目2通)

色々な宗派では、「成仏」の方法は教えられています。どれもお釈迦さまの教えられたことなので「その通りに」修行できる人は「成仏」できることはまちがいありません。

しかるに末代このごろの衆生は、機根最劣にして如説に修行せん人まれなる時節なり。ここに弥陀如来の他力本願といふは、今の世において、かかる時の衆生をむねとたすけすくはんがために、五劫があひだこれを思惟し、永劫があひだこれを修行して、「造悪不善の衆生をほとけになさずはわれも正覚ならじ」と、ちかごとをたてましまして、その願すでに成就して阿弥陀と成らせたまへるほとけなり。末代今の時の衆生においては、このほとけの本願にすがりて弥陀をふかくたのみたてまつらずんば、成仏するといふことあるべからざるなり。(同上)

ところが、現在の人はそれほどの修行が出来る人がほとんどいない時代です。ここで、阿弥陀如来の本願は、現代でこそそのような修行できない人を助けるために五劫の間思惟され、兆載永劫という間修行され「罪を作り善をなさない者を仏にすることができなければ、この私も仏に成らない」と本願を建てられて、その本願が成就して阿弥陀仏という仏になられました。現代の人は、この阿弥陀仏の本願にすがって、阿弥陀仏の「ただ今救う」の仰せにまかせなければ仏になるということは絶対にありません。

 そもそも、阿弥陀如来の他力本願をばなにとやうに信じ、またなにとやうに機をもちてかたすかるべきぞなれば、それ弥陀を信じたてまつるといふは、なにのやうもなく、他力の信心といふいはれをよくしりたらんひとは、たとへば十人は十人ながら、みなもつて極楽に往生すべし。さてその他力の信心といふはいかやうなることぞといへば、ただ南無阿弥陀仏なり。この南無阿弥陀仏の六つの字のこころをくはしくしりたるが、すなはち他力信心のすがたなり。(同上)

そこで、阿弥陀仏の本願をどう信じて、またどうしたら助かるのだろうかと問われれば、「なにのようもなく」です。他力の信心を獲た人が10人いたら10人全員浄土往生することが出来ます。そこで、浄土往生する「他力信心」とはなにかといえば、「ただ南無阿弥陀仏」です。この「南無阿弥陀仏の六字のこころ」を疑い無く知るのが、他力信心の相です。


他力信心といってもなにか特別なものはありません。「南無阿弥陀仏」が私を助けるための仰せそのものであり、それを聞いたがのが信心です。「ただ今助ける」の仰せを聞いたのが信心です。それ以外に何もありません。「こんな人」とか「あんな人」が救われるのではありません。「私が」「貴方が」救われるのが、阿弥陀仏の本願です。阿弥陀仏の願いです。阿弥陀仏の願いとは、正覚をかけた願いです。その願いをどうか聞いてください。阿弥陀仏は貴方を責めたりしません。ただ、ただ、浄土往生し成仏してもらいたいだけです。阿弥陀仏の救いは、来年ではない今です。

このエントリーではご文章の一部を紹介しています。それ以降は是非ご自分で読んでください。年末、年始に御文章全部を読んでみてください。