安心問答(浄土真宗の信心について)

浄土真宗の信心についての問答

追記:称名念仏は口の動きそのものに功徳があるのではありません。(利井鮮妙師語録より)

前回のエントリーに追記です。
口で南無阿弥陀仏と称えている私の口の動きに功徳があるのではありません。称えられている名号そのものが私を助けるお働きがあるのです。

その関係について、利井鮮妙師語録から紹介します。

自力行者の念仏は称える方に力を入れて、あるいは称えごころ、数の多少や、行儀のよしあし、余善のあるなしによりて称名の功徳に勝り劣りがあると思い、機法一体の御名号称えながら、ハナレバナレの動舌発声に功を見ます。


これに反して他力の称名は、己が称えたからと能称の功を見ず「トナヘテモトナヘテモ南無阿弥陀仏、終日称礼念スレドモ自ノ行ニアラズ如来ノ行ヲ行スルナリ」とふと称えた念仏も蜂殺しの念仏も機法一体なり。願行具足の名号を称うるなり。善導大師の仏体を出したもう称名も、蓮生房が仏体を顕わした称名も、我々の称名も同じであります。喩えば自力称名はキンカンの如く皮を食うて実を捨て、他力の称名は蜜柑の如く皮を捨てて実を食うのであります。皮は動舌発声、実は阿弥陀仏即是其行であります。(利井鮮妙師匠語録より)