安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

口で称える念仏と心で称える念仏(南無阿弥陀仏)は同じでしょうか?(頂いた質問)

口で称える念仏と心で称える念仏(南無阿弥陀仏)は同じでしょうか?
両方とも阿弥陀仏から回向された六字のご名号ととらえてよろしいでしょうか?(頂いた質問)

念仏のことを称名ともいいます。称名とは、口で仏や菩薩の名を称えることをいいますから、心で称えることとイコールにはなりません。たしかに、どちらも心で南無阿弥陀仏と思っているという点では同じですが、「称名」と言った場合は口で称えることになるので、まったく同じにはなりません。

心で南無阿弥陀仏と思うのも、また口で南無阿弥陀仏と称えるのも、どちらも阿弥陀仏から差し向けられているものです。南無阿弥陀仏が私を救おうと働いておられるすがたが、心の上で働けば信心といわれ、口に出て働いて下さっていることを称名といいます。ですから、名号も信心も称名念仏も別のものではありません。それを、称名即名号、信心即名号、称名即信心といわれます。

南無阿弥陀仏が働いて下さるというのは、阿弥陀仏が南無阿弥陀仏となって働いておられるということです。
口で称える南無阿弥陀仏は、ただの私の口の動きではありません。阿弥陀仏の願力の働きそのものです。その南無阿弥陀仏に救われて下さい。