安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

信心決定するために必要な方便はないと聞きましたが、それでは阿弥陀仏はどうやって私を救って下さるのでしょうか?(頂いた質問)

信心決定するために必要な方便はないと聞きましたが、それでは阿弥陀仏はどうやって私を救って下さるのでしょうか?(頂いた質問)

阿弥陀仏が私を救うための手立てを善巧方便といいます。それについては、淳心房さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。


阿弥陀仏が、どうやって私を救おうとされているのかは、仏願の生起本末を聞かないと分かりませんので、仏願の生起本末を聞けと勧められています。
また、仏願の生起本末を聞きますと、「善をせよ、これが阿弥陀仏のお勧めだ」という意見がなぜ間違いなのか分かると思います。

仏願の生起本末とは、なぜ阿弥陀仏が願を発されたのか、どのような願を建てられ、どのように私を救おうとされているのかということです。

最初に、なぜ阿弥陀仏が本願を建てられたのかについて、今回は浄土論註から引用します。

仏本この荘厳清浄功徳を起したまへる所以は、三界を見そなはすに、これ虚偽の相、これ輪転の相*1、これ無窮の相*2にして、蚇蠖*3[屈まり伸ぶる虫なり]の循環するがごとく、蚕繭*4[蚕衣なり]の自縛するがごとし。(往生論註・巻上・七祖浄土真宗聖典(註釈版)P57

仏様の目から私をご覧になると、三界を車輪が回るように果てしなく巡っている様子は、尺取り虫が同じところをぐるぐる回るようであり、蚕が自分の口から出した糸で繭を作り自分を出られなくするようなものでした。
尺取り虫が、いつまでも同じところを回り続けるように、自らの力で生死を離れることができない相を見て、憐れに思われて、そこから何とか出させてやりたいと思われたのが、法蔵菩薩の願いです。


そして法蔵菩薩は、世自在王仏のみもとへ行き、衆生を生死の世界を離れて、生まれさせる浄土を建立したいと願いを述べられます。
そのあたりの経緯は、唯信鈔に書かれてあるところを引用します。

そのことのおこりは、阿弥陀如来いまだ仏に成りたまはざりしむかし、法蔵比丘と申しき。そのときに仏ましましき、世自在王仏と申しき。法蔵比丘すでに菩提心をおこして、清浄の国土をしめて*5衆生を利益せんとおぼして*6、仏のみもとへまゐりて申したまはく、「われすでに菩提心をおこして清浄の仏国をまうけんとおもふ。(唯信鈔・浄土真宗聖典(註釈版)P1339)

このように、法蔵菩薩が、世自在王仏のところで、浄土建立の願いを述べられます。

なぜ阿弥陀仏が願を発されたといえば、生死に迷いそこから離れ切れない私を憐れに思われたからです。そこから、生死を離れて、浄土に生まれさせたい、しかも最も優れた浄土を建立したいと願いを発されました。

いくら素晴らしい浄土であっても、条件付きでは条件がクリアできない人は生まれることはできません。それでは、本願を建てた御心に合わないので、どんな人でも浄土往生させるために成就されたのが南無阿弥陀仏です。

仏願の生起本末とは、南無阿弥陀仏のいわれであり、南無阿弥陀仏はどのようにして私を救って下さるのかをいわれたものです。

一回で書こうとしましたが、思ったより長くなりそうなので、続きは次回にします。

*1:輪転の相・・三界を車輪がまわるようにめぐり迷うこと。

*2:三界を輪転することがはてしないこと。

*3:蚇蠖・・尺とり虫。

*4:蚕繭・・かいこのまゆ

*5:清浄の国土をしめて・・浄土を建立して。『真宗仮名聖教』所収本には「しめて」は「しめして」とある。

*6:おぼして・・お思いになって。