安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

呼び続けてくださっているとは、現代語で具体的にどのようにでしょうか?(武蔵さんのコメント)

武蔵さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

呼び続けてくださってるとありますが、現代語で具体的にどのようにでしょうか?
その呼び声を聞くとありがたくて泣けてきますか?(武蔵さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110417/1302986104#c1303041090

「呼び続けてくださってるとありますが、現代語で具体的にどのようにでしょうか?」

具体的に聞こえてくるのは、「南無阿弥陀仏」と聞こえます。南無阿弥陀仏の音声自体は、私の口から出てくるものですから、私の声です。

「夢の中に阿弥陀仏が現れてこのように言われた」というように、具体的に現代語で聞いたことはありません。

しかし「南無阿弥陀仏」の念仏のこころを、お釈迦様、善知識方から聞かせて頂いております。「具体的に」となると、善導大師の二河白道の譬えにある、西岸上におられる阿弥陀仏の呼び声が具体的だと思います。

西の岸の上に、人ありて喚ばひ*1ていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉と。(教行信証信巻・浄土真宗聖典(註釈版)P224)

南無阿弥陀仏と私の口から出て下さる念仏は、阿弥陀仏が私に向かって呼びかけられる声です。
文字にすると六字です。具体的にどう呼ばれているのかと言えば、上記のように、「なんぢ」と私に呼びかけれています。

私に向かって「一心正念にしてただちに来れ」と呼びかけられています。ただ今来なさい私のところへと呼び続けられています。

「われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と仰っています。どれだけ煩悩があっても、どれだけ順境でも逆境でも、浄土往生は護ってみせると呼びかけられています。

具体的に現代語にしようと思うことは、日常生活上にありません。ただ南無阿弥陀仏と称えております。称えた南無阿弥陀仏と、ただ南無阿弥陀仏と聞いているだけです。
「どんな意味ですか?」と問われれば、「『ただちに来たれ』『ただ今救うぞ』、と呼びかけられています」と答えます。

「現代語で具体的」となると、その表現は一人ひとり違うと思います。同じ詩を聞いても、どんな詩ですか?と聞かれた場合、言葉にすると表現は一人ひとりことなるようなものです。私は、南無阿弥陀仏とは、ただちに来たれと呼びかけられていると聞いております。

「呼び声を聞くと有り難くて泣けてきますか?」

念仏を称えながらいつも泣くわけではありません。泣くほど有り難いと思うこともあれば、何も思わないときもあります。
感情の起伏ですから、それは念仏を称えている状況によっていろいろと変わります。
しかし、私が有り難く思おうが、思うまいが南無阿弥陀仏と念仏となって出て下さる、呼び続けて下さっているのは大変有り難いです。

*1:「よばふ」は呼び続けるの意。