安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「現在の救いを求めていけば救われる」は、計らいでしょうか?(頂いた質問)

現在の救いだと思う一方、「現在の救いを求めていけば救われる」と思います。これも計らいでしょうか?(頂いた質問)

こうしていけば、とか「この方向で」と考えるのは仰るとおり計らいです。

「20年や30年求めても」と阿弥陀仏の救いを遠くに置いて、そこをめがけて進もうと考えるのは、本願を聞いているのではありません。20年なのか、ただ今なのかという期間が問題なのではありません。求めた先に得られるという考えそのものが計らいだからです。

阿弥陀仏の本願を聞くとは、「ただ今救う」と呼びかけられる阿弥陀仏の願いを聞くことです。「なにかいい方法」を聞くことではありません。どうしたら阿弥陀仏に救ってもらえるだろうかと、「どこかにいい方法は無いだろうか」と考えることではありません。

「ただ今救う本願だと思って進んでいけば救われる」のではなく、ただ今救われて往生極楽の道を進んでいくのです。阿弥陀仏の救いはゴールではありません。進んでいった先に待っておられるのでもありません。
本当にただ今救ってみせると、働いておられるのが南無阿弥陀仏です。

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弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
 生死のうみにうかみつつ 有情をよばうて*1のせたまふ(正像末和讃・浄土真宗聖典(註釈版)P609

生死の海に乗り出して、私に乗りなさいと呼びかけ大願の船に乗せて下さるのが阿弥陀仏です。
「ただ今乗ろうと思って泳ぎなさい」ではありません。ただ今乗せるぞ、ただ今救うぞと呼びかけて乗せて下さいます。
こうして行けばとか、この方向で行けばではなく、阿弥陀仏にただ今救われて下さい。

*1:よばうて・・呼び続けて