安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

信心決定はとてつもない体験でしょうか?(頂いた質問)

信心決定というのは、やはり何かとてつもない体験であると思ってしまいますが、そうではないとも聞きますがどうでしょうか?(頂いた質問)

信心決定するということは、「とてつもない体験」ではありません。ありがとウサギがグレートありがとウサギになるようなものではありません。

参考動画:グレートありがとウサギ

こんなようなものだと私も以前は思っていました。親鸞会で聞いていた話と、「アニメ映画:世界の光親鸞聖人シリーズ」を見ていた影響でした。
しかし、蓮如上人はそういう「とてつもない体験」ではないと言われています。

信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。(御文章5帖目5通・浄土真宗聖典(註釈版)P1192

阿弥陀仏の本願、第18願を心得ることであり、南無阿弥陀仏のすがたをこころうることです。
第18願を心得るとは、ただ今救う本願をそのまま聞いたことです。南無阿弥陀仏の仰せを疑い無く聞いたことです。南無阿弥陀仏がそのまま私に働いているのが信心です。
何か凄い体験が信心ならば、その体験は何かによって崩れてしまいます。

何を思っても、何が起きても、常に南無阿弥陀仏と働いてくださる、常に直ちに来たれと呼びかけてくださっていることは、変わりません。そういう喜びは調子が良いときも悪いときも変わらずあります。とてつもない体験によらないのが、信心です。

ただ今救う本願をただ今聞いて下さい。