安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

念仏を称えているときに何を思うと疑心になる?(でんさんのコメント)

でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

念仏称えてる最中に、腹が減ったな〜とか、眠いな〜とか、時々思ってしまうのですが、これも疑心になるのでしょうか?(でんさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110210/1297288102#c

そういうものは疑心とはいいません。自分の身体についての感想ですから、暑いときは暑い、寒いときは寒い、足がしびれたときはしびれたなぁと思います。
念仏について思うことで、疑心というのはどういう心かというと、以下のような心です。

おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもつておのれが善根とするがゆゑに、信を生ずることあたはず、仏智を了らず。(教行信証化身土巻・浄土真宗聖典(註釈版)P412

念仏を「おのれが善根とする」心が、疑心です。
阿弥陀仏が、私を助けるための行として南無阿弥陀仏を選び取られました。念仏を称えているのは自分の口であっても、称えられているところの南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏の行そのものです。
本来は阿弥陀仏の行である南無阿弥陀仏を、自分の善根のように考えたり、自分の善根と思うが故に「これだけ称えたのだから、往生の足しになるだろう」と思うのが疑心です。

それは、そのまま救うという本願に対して、何か手助けをしなければならないのではないか、念仏もそのままでは頼りないのではないかと思う心です。

それ以外に、念仏を称えているときにお腹が減ったと思うこと自体は疑心ではありません。
南無阿弥陀仏一つですくうと呼び続けおられますので、ただ今南無阿弥陀仏に救われます。