安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「助かりたい」を自分の心として差し出せば自力です(でんさんのコメントより)

でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

「たのむ」の意味を「あてにする」と聞いてますが、仰る通り、何か行動を起こすことのように感じております。
どうか助けて下さいと思うことは自力なのでしょうか。
それとも、願力によって助けてくださいと私に思わせてる他力なのでしょうか。(でんさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100701/1277986465#c

「どうか助けて下さい」と、凡夫が思うことはありません。その意味から言えば、阿弥陀仏によって思わされた尊い心です。
「どうか助けて下さい」が自力と説明する場合は、「浄土に生まれたい」と思う心を我が心のように思い、それを阿弥陀仏に差し向けている場合です。
「これだけ私は助かりたいと思っているのだから、阿弥陀様早く助けに来て下さい。これだけ思っているのですから」という心が、自力なのです。

念仏に対する心と構造は同じです。阿弥陀仏によって称えさせられている念仏を、自分が称えているかのように思い、自分の称えた念仏を差し向けて阿弥陀仏に助かろうとするのは、自力念仏といわれます。

助かりたいと思わせたのは、阿弥陀仏の願力です。なぜ救われたいと思ったのでしょうか。人が勧めたからでしょうか。自分でなにか思ったからでしょうか。自分で判断して、何かと比較して決めたことでしょうか。

何とか浄土に生まれてください、何とか私の願いを聞いて下さいと、頭を下げられる阿弥陀仏の願力が働いているからです。
現在選挙戦で、候補者や各党の党首が「私が当選したら、私の党が過半数を取ったらこうします」と、上からいうのとは違います。

たのむというのは、上から言われる阿弥陀仏の仰せに従うようなイメージがあるかもしれませんが、大慈悲心から言えば、上におられる阿弥陀仏ではありません。私の下におられるのが阿弥陀仏なのです。
何もしなくて良いから、助けさせて下さいと願われているのが阿弥陀仏です。
必ずただ今救われます。