安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

どうか助けて下さいは、先手と後手が逆になります(でんさんのコメント)

前回のエントリーの続きです。補足としてエントリーを書きます。

どうか助けて下さいと思うことは自力なのでしょうか。(でんさんのコメントより抜粋)

どうか助けて下さいと思うことによって救われないのは、先手後手が逆になっているからです。
阿弥陀仏の本願が先手といえば、阿弥陀仏の方から助けさせて下さいと言ってこられるということです。そうなれば、私は待つとか、待たないと言うことではなく、助けさせて下さいという申し出を、有り難うございますとお受けするより他にはありません。この場合は、お受けする私は後手となります。

どうか助けて下さいと私から阿弥陀仏にいう場合は、私が先手となり、阿弥陀仏の返事を待っていると言うことになります。

阿弥陀仏は、私が助けて下さいとお願いするに先立って、本願を建てて下さり、兆載永劫の行により南無阿弥陀仏となって私を助ける用意はされているのです。

ここをもつて如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまひしとき、三業の所修、一念一刹那も清浄ならざることなし、真心ならざることなし。如来、清浄の真心をもつて、円融無碍不可思議不可称不可説の至徳を成就したまへり。如来の至心をもつて、諸有の一切煩悩悪業邪智の群生海に回施したまへり。(教行信証信巻・註釈版聖典P231

そして、阿弥陀如来がまことのこころをもって、私に助ける働きを与えようとして下さっているのです。
助ける働きは、南無阿弥陀仏という呼び声となって先手をうっておられます。それを無かったことと計らって、自分が先手を打って阿弥陀仏の本願を後回しにしてしまうから、仏智を計らい、疑う自力と言われるのです。

助かりたいと先手をかけるのは、不安だからではないかと思います。しかし、阿弥陀仏はどうにもならない者とみてとられて本願を建てておられます。
待つのも、お願いもいりません。阿弥陀仏の必ず救うの仰せをお受けするのが、弥陀をたのむということです。