安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

おまかせしようとするのも、虚仮の信心(頂いた質問)

前回のエントリーの続きを書きます。

おまかせしなさいと言われると、おまかせしようとしてしまい自力の計らいの無い、おまかせ状態にはならないのです。(頂いた質問)

まかせるというのも、阿弥陀仏の仰せにまかせるのですから、信心ということです。

また「唯」はひとりといふこころなり。「信」はうたがひなきこころなり、すなはちこれ真実の信心なり、虚仮はなれたるこころなり。虚はむなしといふ、仮はかりなるといふことなり、虚は実ならぬをいふ、仮は真ならぬをいふなり。本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」といふ。(唯信鈔文意・註釈版聖典P699

真実信心について、親鸞聖人はただ本願に疑いない心であり、虚仮を離れたこころであるといわれています。本願他力をたのみ、自力を離れるのが信心です。

たのめばさえよいだろう、というのも、自分で作り上げた虚仮の信心です。虚仮を離れて、本願他力をたのんでください。
疑いないとは、本願他力をたのんだということです。本願他力とは、そのまま救うぞ、ただ今救うぞと言う仰せだからです。
阿弥陀仏は、なんとか救おうとずっと昔から見捨てず働いておられます。ただ今救われて下さい。