安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

二河白道の譬えの白道とはなんでしょうか?雪の北陸道ではありません(頂いた質問)

欲や怒りの煩悩と戦っていかねば、進んでいけないと親鸞会で聞いてきました。またそういう話のときに二河白道の譬え話を出して、火の河と水の河の間を進んでいかねばならないといわれました。火の河、水の河と白道の関係はどういう関係なのでしょうか?(頂いた質問)

水の河は、貪欲、火の河は、怒りや憎しみという心をいいます。
白道については、親鸞聖人は教行証文類に、善導大師のお言葉を引いておられます。

〈水火の二河〉といふは、すなはち衆生の貪愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと喩ふ。〈中間の白道四五寸〉といふは、すなはち衆生の貪瞋煩悩のなかに、よく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩ふ。(教行信証・信巻より『註釈版聖典』P225

白道は、「清浄願往生心」といわれ、阿弥陀如来が私に回向して下される信心のことです。阿弥陀如来回向の真実信心は、欲や愛と憎しみと怒りが常に波立つ私の心に回向されるもので、またそれらの煩悩によって消し去られることはないことを言われています。

白道とは、欲や怒りといった煩悩と戦って、富山へ雪の中をいく北陸道のことではありません。

なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ(教行信証・信巻より『註釈版聖典』P224

と、西岸上から呼びかけられる阿弥陀如来の呼び声を聞いて、声のとおりに一歩踏み出す往生極楽への道であり、如来回向の信心の道です。

戦って進んだ先に往生できるのではありません。常に呼びかけ働きかけられる、阿弥陀如来の本願力一つで救われるのですから、ただ今救われます。