安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

本願の言葉と働きには差がない(前日の追記)

前回のエントリーに追記します。
私たちが一般に生活する空間においては、「言葉」と「行動」は別のものとなっています。選挙の時のマニフェストが守られていないとか、基地移転問題の5月末までになんとかしますといっても、実際に果たされないということがあります。
そのため「言葉だけ」というのは、口先だけというような意味合いに使われることが多いです。


くちさき【くちさき】心のこもらないうわべだけの言葉や話しぶり「ーだけの約束」「ーだけの親切心」(大辞林より)

阿弥陀仏が私を助けようというのは、大慈悲心であり、私を助けようという心にはまったく疑いもためらいもありませんので、決して口先だけというようなものではありません。その大慈悲心によっておこされた本願ですが、ただの願いではなく、その願いを遂げさせる働きもまた実際に助ける力がありますので、願いと働きがまったく差がないので、成就したといわれています。

願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに「成就」といふ。(往生論註)

本願は、聞けば言葉ですが、その阿弥陀如来の言葉は、実際の私を助ける働きの通りの言葉であって、言葉はあるけれどもその通りにならないということは全くありません。
「ただ今助ける」という本願は、そのまま「ただ今助ける」という働きがあり、実際に働いていると言うことです。