安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

阿弥陀仏の浄土に生まれられると思う心について(頂いた質問)

阿弥陀仏に救われた人は必ず浄土に生まれられると聞きますが、私も生まれたいと思っています。生まれたいと思っていても生まれられるような気がしません(頂いた質問)

阿弥陀仏の本願に「欲生我国」と誓われています。これは、私の極楽浄土へ生まれようと思いなさいと阿弥陀仏が、私に願われていると言うことです。
自分で生まれたいと思っている場合は、まだ生まれられるかどうかが確定していません。自分が今まで聞いてきたことや、やってきたことで浄土往生ができるかと聞かれれば、誰もわかりません。また、修行をしたり、自力の念仏を称えて助かろうとする人は、臨終来迎を待ちますので、臨終に心が乱れたら往生出来ないものですから、なおさら生きている間に往生出来るかどうかは分かりません。
往生が定まらないので、必死に願いをかけて、救いを求めるという「欲生」のこころです。
それに対して、本願で誓われている欲生我国の「欲生」とはどんなこころかというと、親鸞聖人はこのようにいわれています。

欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり。(教行信証信巻)

阿弥陀仏の本願で誓われている欲生とは、阿弥陀仏が必ず浄土に往生させると私を呼び続けておられる招喚の勅命であるといわれています。
私が生まれられるとか、生まれようと願うこころではなく、阿弥陀仏が我が浄土に生まれられると思いなさいと呼びかけておられるのです。
このような本願の仰せに疑いないのが信心ですが、その信心に備わっている心が、必ず浄土に生まれられるという欲生心ということです。
私が願う心とは違うものです。