安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

智慧(光明)のはたらきについて(さとるさんのコメント)

私を助けようという智恵の働きそのものが、阿弥陀如来であり、

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100312/1268342621

・智恵の働きとは、具体的にどのようなことでしょうか?
・それが、どう私を助けてくれるのでしょうか?(さとるさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100312/1268342621#c1268380455

この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり、智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。(一念多念証文

阿弥陀如来は、光明であり、光明は智慧であると、親鸞聖人はいわれています。この智慧とは、阿弥陀仏の智慧であり、仏の智慧のことです。
智慧の働きとはどのようなことですか、それをあらわされた、光明の働きはなんですかという問いになります。
光明とは、闇を破るものです。闇に閉ざされていると、本当の姿がわからないので、光明によって闇を破られると、真実の姿が見えてきます。ですから、光明は、闇を破って真実を人々に知らせるものです。
「光明は智慧なり」といわれるのは、阿弥陀如来の智慧の働きが、迷っている私たちの無明の闇を破って、真実を知らせ、往生成仏させるお働きであることを現すのに適切であったからと思われます。
阿弥陀仏の大慈悲心が、実際に私を救う働きを智慧といいます。また、その智慧の働きによって私を助けることが、まことの慈悲でもあるので、「慈光」ともいわれて、慈悲の働きを光明といわれることもあります。

智慧を本質とする光明が、すべてのところを照らして私たちを救ってくだされることを、ご和讃でいいますとこのように言われています。

無碍光如来の名号と かの光明智相とは
 無明長夜の闇を破し 衆生の志願をみてたまふ(高僧和讃47

ここで光明智相といわれているのが、智慧を本質とする光明の働きということです。「光明は智慧なり」といわれたところです。

具体的にどう救って下さるのかといえば「無明長夜の闇を破し、私たち衆生の上に往生成仏させるという阿弥陀仏の願いを満たしてくだされる」ということです。
ただ今救って下されるということですから、ただ今救われて下さい。

追記

元会員さんのコメントからの追記です。

「私たち衆生の上に」

という部分がありますが、この「上に」という言葉はどういうことなのでしょうか?

「上に」とは、「身の上に」ということです。
阿弥陀仏の願いは、私の願いを阿弥陀仏が叶えて下されるのではなく、「衆生を成仏させる」という阿弥陀仏の願いを、願い通りに実現されると言うことです。
「衆生を報土往生させ、成仏させる」という阿弥陀仏の願いが、実現するということは、衆生の立場から言えば、衆生にその利益が現れるということを「上に」とかきました。