安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

阿弥陀仏は来られるのではなく、おられるのです(頂いた質問)

阿弥陀仏が飛び込んできて下されると思っていますが、なかなか飛び込んで来てくださいません。(頂いた質問)

阿弥陀仏が飛び込んで来て下されるというのは、振り返ってそのように表現される方があっても、絵像や木像に描かれたような阿弥陀仏が、目の前にドーンと現れられることもなければ、そのような仏様が私の体内にドーンと入って来られるということではありません。
阿弥陀仏という仏様について、親鸞聖人は、「この如来は光明なり」といわれています。

この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり、智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまへるがゆゑに、無辺光仏と申す。しかれば、世親菩薩(天親)は尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまへり。(一念多念証文

この如来というのは、阿弥陀如来のことですが、阿弥陀如来は光明であるといわれています。それは、阿弥陀仏という仏様から光明がピカーッと放たれているということでは有りません。阿弥陀如来は光明そのものであるということです。
私を助けようという智恵の働きそのものが、阿弥陀如来であり、南無阿弥陀仏なのです。
ですから、絵像や木像のような形をした阿弥陀仏が、十方微塵世界をものすごいスピードで駆け回っておられるのではありません。光の国から僕らのためにやってきたあのヒーロー*1とは違うのです。(分からない方は参照先をご覧下さい)

光明が、十方微塵世界にみちみちているから、無辺光仏ともいわれています。そのことを、天親菩薩は尽十方無礙光如来ともいわれているのです。
遙か、かなたからドーンとやってこられるのではなく、現在働いておられる光明が、阿弥陀仏であり、南無阿弥陀仏です。
来られるのではなく、おられるのが南無阿弥陀仏であり、阿弥陀仏です。
だからこそ、どこにいても、私がどんな心であっても、ただ今救われます。

*1: