安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

阿弥陀仏のお慈悲をよくよく聞いてみました(Bさんのコメント)

更新が遅れて申し訳ございませんでした。コメント欄上での話が進んでいるので、少し戻ったところでのエントリーとなります。Bさんのコメントに対してエントリーをします。

1つ目の回答は「私には分からないから阿弥陀仏に聞いてくれ」ということですね。残念ながら、私は阿弥陀仏と会話する術を持っていません。
もし、山も山さんが阿弥陀仏と会話をする術を持っているというのであれば、私のかわりに阿弥陀仏に質問して、その答えを私に教えて下さい。(Bさんのコメントより)(全文はURL参照)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100205/1265378979#c1265526482

私は、阿弥陀仏と会話する術をもっているわけではありませんので、直接質問して回答することはできませんでした。
しかし、阿弥陀仏の本願の仰せについて、善導大師が二河白道の譬え話の中で以下のように教えられています。

なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ(教行信証信巻(本)より

阿弥陀仏は、直ちに来たれ、汝を護らんとの仰せです。
信心数え歌でいうなら、「助くる弥陀が手を下げて まかせてくれよ」。

仮に、阿弥陀仏の仰せと、Bさんとの問いを会話形式でするとこうなります。

阿弥陀仏「直ちにきたれ、汝を護らん」
Bさん「私はなぜ助からないのでしょうか?」
阿弥陀仏「どうかまかせて下さい、お願いします」
Bさん「私はなぜ助からないのでしょうか?」
阿弥陀仏「Bさんを護ります。まかせてください」
Bさん「私はなぜ助からないのでしょうか?」

阿弥陀仏の仰せが先で、私の問いは後なのですから、阿弥陀仏の仰せを聞くのが先で、質問は後になります。
まず、阿弥陀仏の本願をどうか聞いて下さい。

2つ目の回答は「質問する態度が悪い。そんな質問をすること自体がおかしい」
ということですね。これは、質問に対する直接的な答えが山も山さんには分からないから、直接的な回答をせずに、質問の態度を非難したということですね。(Bさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100205/1265378979#c1265526482

これについては、Bさんの態度が悪いということではありません。
頭が高いといったのは、順番の問題です。
先に書いたように、阿弥陀仏の仰せが先で、Bさんの問いは阿弥陀仏の仰せの後にでたものですから、阿弥陀仏の仰せを聞くのが先なのです。それを逆にしてくれと言うのは、順番が逆ですから頭が高いと言ったのです。ご気分を害されたのであれば、お詫びいたします。

「法の上から」というのはどういうことですか?
阿弥陀仏が私を救う、ということは「法の上」のことであって「実際には」救わない、ということですか?実際に救う、のであれば、わざわざ「法の上から」などという意味深長な修飾語をつける必要はないと思います。
阿弥陀仏が私を必ず救うと誓っておられるのだから、その誓いが成就したということは、この私が必ず救われる、ということです。それが私の理解です。(Bさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100205/1265378979#c1265526482

法の上からというのは、阿弥陀仏のお働きを阿弥陀仏の方から言った場合です。実際に救って下さるのですが、「実際に」と言った場合は、私の方からの話になるので、「法の上から」という言葉をつけました。
阿弥陀仏の本願は、上記に書きましたとおり「直ちに来たれ、汝を護らん」ですから、その仰せを聞いて下さい。

私は、単純に「現に今私が助かっていない」
という現実があり、それはなぜだろうか?という疑問を起こしただけです。

そして、その疑問に対する答えは「分からない」ということだと理解しました。
分からないのであれば、これ以上質問を続けても無意味ですので、私の質問をこれで終わりとさせていただきます。(Bさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100205/1265378979#c1265526482

仰ることはわかりましたが、疑問が解消しないと言うことと、Bさんが阿弥陀仏に救われることは、関係あるのでしょうか?