安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

信じるかどうかについて(Bさんのコメント)

Bさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

「救われたら信じます」とは言っていません。それすらも、救われてないから分かりません。
ただ、救われたら信じる心をいただくと聞いていますので、もしそれが本当ならば救われたら信じることができるのだろうな、という程度です。
分かる事は「救われたら信じる」ということではなくて「救われてないから信じることはできない」
もしくは「信じる根拠が自分の中にはない」ということです。
「あの人が救われたと言ってるんだから、救われたと言うことがあるんだろう」
という程度の根拠ならば、世の中には「私は救われた」という人はいくらでもいますから、そういった人を全て信じなければならなくなってしまいます。

阿弥陀仏は現に働いておられます。どうも信じられないというのであれば、
積極的に疑ってみられたほうがよいのではないかと思います。

はい、疑っています。というか、信じる根拠がなにもありません。(Bさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100201/1265030328#c1265049471

回答します。ポイントは「信じる」という言葉の定義によって回答が変わるので、2つに分けて回答します。

「信じる」と言う言葉の意味について

1「信じる」=「救われる」の場合

この場合は、「信じられません」という問いは、「救われていません」と同じことになるので、「ただ今救われて下さい」と回答します。

真宗で言う「信じる」は、信心のことであり、信心とは無疑のことです。無疑とは、疑わないということとは違います。疑いようがないことを、無疑といいます。阿弥陀仏の救われたということは、「無疑」であり、疑いないことをいいます。

この定義からすると、「救われていないから信じることができない」「信じる根拠が自分の中にはない」とのことですが、「信じる」と「救われる」は同じなので、「救われていないから救われることができない」「救われる根拠が自分の中にはない」という意味になります。

2「信じる」=「信じられる」=「確信する」の場合

結論を先にいいますと、「私が信じられなくても、往生極楽の道は他にはありません」が回答になります。
この場合は、「何を」信じるか、「救い」という言葉の意味が問題になります。

一般的にいう「信じられる」という意味で「信じる」という言葉を使われるのであれば、お気持ちはよくわかります。
信じたいけれども不安である、また信じてよいものか分からない、確信できないということではないかと思います。しかし、阿弥陀仏に救われる前も後も、「私の心の中での確信」というものは、ありません。それはあてにならない物だからです。
往生に関しては、阿弥陀仏のお仕事であり、前述の「無疑」であって「不疑」(確信)ではないからです。

浄土真宗での「救われた」というのは、「ただ今阿弥陀仏に救われ、死ぬと浄土往生し仏のさとりを開かせて頂ける」ということですから、他宗教で言う「救われた」とは異なります。

ただ今浄土往生定まる身に救っていただけるのは、阿弥陀仏の本願以外にありません。
信じられるかどうかというより、他にないという説明になります。

御文章を例にとりますと「阿弥陀仏の本願しかないですよ」ということを「信じなさい」というよりは、「他にはないですよ」という教え方をされています。

つぎに当流の安心のおもむきをくはしくしらんとおもはんひとは、あながちに智慧・才学もいらず、男女・貴賤もいらず、ただわが身は罪ふかきあさましきものなりとおもひとりて、かかる機までもたすけたまへるほとけは阿弥陀如来ばかりなりとしりて(御文章2帖目13通・御袖

「かかる機までも助けたまえる仏は、阿弥陀如来ばかりなり」と言われています。

この世に、私を浄土往生させて下される仏は、阿弥陀如来の他にはないではないですか、という言い方をするのが一番分かり易いのではないかと思います。

「信じられない」「信用できない」というのは、「このまま阿弥陀仏の本願に向かって裏切られないだろうか」とか「もし間違っていたらどうしよう」という不安からくるものではないか思います。
「信じなさい」というより、「選択肢として、他にないですよ」という言い方になるのではないかと思います。

信用して下さいとは私は言いませんが、阿弥陀仏の本願以外には救われません。
このように質問をされるのも、「信じていいのか」という不安があるからではないかと思いますが、私が間違いないというから間違いないのではなく、阿弥陀仏の本願には間違いがありません。
どうか、弥陀の本願を聞いて、ただ今救われて下さい。
私に確信をあたえるのが阿弥陀仏ではなく、南無阿弥陀仏を与えて下さるのが阿弥陀仏です。

Bさんからはもう一つコメントを頂いておりますが、それについては次のエントリーで書きます。