安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「本願を疑う心」の本願は「19願」「20願」「18願」のいずれかですか?それとも三願でしょうか?(頂いた質問)

「本願を聞いて疑い無い」のが信心と聞きましたが、その「本願」とは、19願のことでしょうか?20願のことでしょうか?18願のことでしょうか?それとも三願全部でしょうか?(頂いた質問)

本願といえば18願のことです。19願、20願のことではありません。

不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して
 罪福信じ善本を たのめば辺地にとまるなり(正像末和讃60・誡疑讃・浄土真宗聖典(註釈版)P610)

親鸞聖人が疑いを戒められたご和讃が誡疑讃です。上記のご和讃は、その誡疑讃の最初に書かれてあります。

如来の諸智を疑惑しているというのが、本願を疑うということです。
本願を疑う人は、罪福を信じ、善本をたのむので、報土には往生できないといわれています。

ただ今救うという阿弥陀仏の第18願を疑う人は、「善業をする」「念仏を称えたその功徳で」と救いに条件をつけ、名号よりも罪福(19願)や自力の念仏(20願)を信じるひとです。

まとめますと、阿弥陀仏の本願を疑う心は第18願を疑うのであって、第19願や第20願を疑うことではありません。
逆に、阿弥陀仏の本願を疑う人は、第19願や第20願通りになろうと信じている人のことです。速やかに、その心を離れて、ただ今救う阿弥陀仏の第18願を信じなさいと親鸞聖人は勧めておられます。