安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「救われていないから信じることはできない」という疑問について考える(Bさんのコメント)

Bさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

自分でなんとかしようとしているわけではありません。
現実に、私が阿弥陀仏に救われていませんから、救われると言われても疑いなく信じることはできません。したがって、疑っています。
積極的に疑っているというよりは、おとぎ話のような話としてしか信じることはできません。(Bさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100131/1264889212#c1264951023

「救われていませんから、救われると言われても疑いなく信じることは出来ません」ということは、「救われたら信じます」と言われているのだと思います。
阿弥陀仏の本願は、救われていることを信じさせるという本願ではなく、ただ今救うという本願です。

阿弥陀仏が現に働いておられることが、実際にあるように思えないという事だと思います。
阿弥陀仏は現に働いておられます。どうも信じられないというのであれば、積極的に疑ってみられたほうがよいのではないかと思います。
同様の質問は、よく受けるので、私自身よく考えて、明日また追記でエントリーをいたします。よろしくお願いいたします。