安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

後でも先でもなく、ただ今救われます(頂いた質問)

ほかの人を差し置いて、何の取り立てて特徴もなく、罪悪もほとんど感じず、無常もあまり感じず、生きることがそんなに苦しいとも感じないでのほほんと生きている私が、先に救われることがありうるでしょうか?(頂いた質問)

回答します。
救われるのは、人との競争ではなく、一人一人のしのぎですから、他の人より先に救われるとか、後に救われると言うことではありません。

往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。(御一代記聞書・171)

加えて、何か人より優れた特徴があったり、罪悪をつよく感じ、無常も人より感じ、生きることがとても苦しいと言っている人がより早く救われるということではありません。

弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。(歎異抄1章

ですから、人より優れている、劣っているというような善悪は阿弥陀仏の方では選ばれません。どんな人でも、救われますし、人と比べるものでもありません。
10人いても、100人いても、救われるのは「私」であって、「私」と阿弥陀仏とのことです。他の人はそこには入る余地はありません。

後でも先でもなくただ今救われます。