阿弥陀仏は必ず救って下されると聞きますが、どこにおられるのかよくわかりません。(頂いた質問)
なんぢ、いま知れりやいなや。阿弥陀仏、ここを去ること遠からず。(観無量寿経)
ここを去ること遠からずと言われるように、決して遠くにおられる仏様では有りません。
確かに、阿弥陀仏は本師本仏の仏であり、全ての仏を超えた優れたお徳をもたれています。悟りの徳から言えば、凡夫の手の届くようなものではありません。
しかし、阿弥陀仏の大慈悲心のはたらきからいえば、常に私に働きかけ、常に共におられるのです。
そのお姿が南無阿弥陀仏の六字です。
これによりて衆生の三業と弥陀の三業と一体になるところをさして、善導和尚は「彼此三業不相捨離」(定善義)と釈したまへるも、このこころなり。(御文章3帖目7通)
御文章にこのようにいわれるのも、阿弥陀仏に救われた人だけのことではありません。
南無阿弥陀仏のお働きからいえば、私の三業につねに寄り添って、ついて離れられないのが阿弥陀仏です。
私が、弥陀を念じ、法を見聞きし、南無阿弥陀仏と称えるときも、そうでないときも、常に阿弥陀仏は私とともにおられると言うことです。
どこか遠くにおられるのではありません。近すぎてわからないのです。
常に離れずにおられるのが阿弥陀仏ですから、ただ今救われてください。