安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

先手の本願は、先手の一手で勝負あり(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました、有り難うございました。

南無阿弥陀仏はどこにどのように在るのだろうと探したりしてしまいます。
あるいはどのようにして与えられ自分のものになるのだろうかと想像したりします。
先手の阿弥陀仏の御慈悲です。それを聞きたいと思います。(Kさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20091206/1260053386#c1260717461

質問ではありませんが、先手のお慈悲ということについて、思うところを書きます。
阿弥陀仏の大慈悲心は、私の要請や、救助信号に応じて起こされたものではありません。

先手という言葉は、将棋で、先に指すのが先手、後から指すのが後手です。
将棋では、先手があり、次に後手があり、何手も勧めていくうちに、やがて勝負がつくわけですが、阿弥陀仏のお慈悲は、先手の一手で勝負がついてしまうところです。

先手を打たれたならば、あとは、勝負あったなのです。すでに勝負あった状態で、「まだ負けていない」「まだ打つ手はある」とか、「どうしたら負けられるんですか?」とあれこれ、自分で考えたり人に聞いたりするのが、阿弥陀仏の大慈悲を疑う心です。

先手の本願でもありますし、一手の本願です(一手の本願という言い方があるかどうかは知りません)