安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

無常迅速の機を救う本願ですから、時間はかかりません(みかみさんのコメント)

みかみさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

山口善太郎さんの自力たたきの文章にでてくる心境は、阿弥陀仏によって発させられる心なのですね。
ひとは皆、その心から、はじめて「本当の求道」が始まり、聞かずにおれなくなるということでしょうか。
「本当の求道」が、始まれば、しめたもの、信心決定(救われるの)はすぐなのでしょうか?
ひとにより違うのでしょうが、1日とか、1週間とか、1ヶ月程度でなのかなと、想像してしまいます。
1年や5年といった長期は、かからないのかなというようなことを考えてしますのですが、こういったことを考えてしまうのはどう思われますか。(みかみさんのコメント)

回答します。
1年や5年という長期間かからねば救われないという教えではありません。
ただ今救うのが阿弥陀仏の本願です。

また、このような段階を踏んでいかねば救われないと言うことはありません。
みかみさんのコメントで言われることを表にするとこのようになります。

求道前 本当の求道始まる 求道中 信後
それほど真剣ではない 驚きが立つ 聞かずにおれなくなる 救われた世界

現在自分は、それほど真剣な心も無い、山口善太郎さんのような苦しみもない、だからまだ「求道前」だというように思うのは間違いです。

「聞かずにおれなくなる」ために、信仰を求めるのではありません。ただ今阿弥陀仏に救われる為に聞いているのです。

そのゆゑは如来の大悲、短命の根機を本としたまへり。もし多念をもつて本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもつて淵源とす。(口伝鈔

阿弥陀仏の本願は、短命の根機を目当てに建てられたものです。もし、時間がかかると言うことになれば、命がいつ終わるか分からない臨終の人は助からないことになります。
今、臨終を迎える人に、「本当の求道」を始めて、「求道をして」、それから救われるという時間はありません。

時間がかからないのは、阿弥陀仏の方から救って下される他力回向の救いだからです。
私が、「何かをして」その引き替えに救いがあるのではありません。
南無阿弥陀仏は、私の何かと引き替えに与えるとはいわれていません。

時間で言えば、ただ今です。阿弥陀仏の方から助けていただくからただ今救われるのです。
必ずただ今救われると言うことがあります。ただ今阿弥陀仏に救われて下さい。