ぺんぺん草さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
11願は、文字通り読めば、浄土に生まれた者を正定聚の位に入れる約束である、
ということでしたが、では、なぜ親鸞聖人はこの世で信心を頂いたと同時に、
正定聚の位に入れる、と言われたのでしょうか。
親鸞聖人はお経に反したことを説かれたのでしょうか。(ぺんぺん草さんのコメント)
回答します。
なぜそのように言われたのかという理由は、親鸞聖人ご自身の体験からいわれたことです。阿弥陀仏に救われたときに現在生きている間に正定聚の位に入る(現生正定聚)というのは、親鸞聖人が初めていわれたことです。そのため、経典や、七高僧のお聖教を読んでも親鸞聖人が言われたような現生正定聚を説かれた部分はありません。
龍樹菩薩の十住毘婆沙論に現生不退の思想がありますが、これは華厳経の解説であり聖道仏教のことです。浄土仏教における現生正定聚は親鸞聖人が初めていわれたことです。
真実信心うるひとは すなわち定聚のかずにいる
不退のくらいにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ(浄土和讃)
真実信心をえたひとは、そのとき正定聚の数に入る。そうなれば、必ず浄土に生まれて仏の覚りをひらくことができると言われています。
もう一つ、18願についてコメントを頂いております。この11願と関係があるので先に回答しました。
また、18願は、阿弥陀仏が真実信心(信楽)を与えてみせると誓われた願である、
ということでしたが、本願文を文字通り読んでも、そのような約束であるとは読めません。そのまま読めば、
「どんな者でも、まことの心で阿弥陀仏を信じて、阿弥陀仏の国に生まれたいと願い、
念仏を称える者は、必ず極楽浄土に生まれさせる。ただし、五逆罪を犯した者と
正法を誹謗する者は除く」
という約束ではないでしょうか。どうして、信楽を与えると誓われた願になるのでしょうか。(ぺんぺん草さんのコメント)
回答します。
先のご和讃と関係有りますが、正定聚不退になる人が必ず滅度に入るというのが阿弥陀仏の11願です。その11願の結果の因は、18願であると親鸞聖人は言われています。
大経往生というは、如来選択の本願、不可思議の願海、これを他力ともうすなり。これすなわち念仏往生の願因によりて、必至滅度の願果をうるなり。現生に正定聚の位に住して、かならず真実報土にいたる。(浄土三経往生文類)
大無量寿経で説かれている往生(救い)とは、阿弥陀仏が選択された本願、これを他力と言うのである。これは阿弥陀仏の18願を因として、必至滅度の願の結果をうるのである。現在生きているときに、正定聚の位に入り、かならず真実の阿弥陀仏の浄土に往くのだといわれています。
阿弥陀仏の18願が因となって、正定聚に入り、滅度に至るのです。
そうなると、阿弥陀仏の18願では何が誓われているかと言えば、親鸞聖人がご和讃で「真実信心うるひとは すなわち定聚の数にいる」といわれていますから、「真実信心をうる」ことです。
この真実信心とは、私が起こす信心ではありません。教行信証で言えば「疑蓋無雑」の心です。この阿弥陀仏に対する疑いのない信心を、与えて見せるというのが阿弥陀仏の本願です。
このような解説は、浄土真宗の教え、親鸞聖人はこのように言われたと言うことです。
大無量寿経の御文だけ読んでも、このようにはならないとは思います。
最初に書きましたが、現生正定聚も親鸞聖人が初めて私たちに明らかにされたことです。
現生正定聚、現在ただ今の救いの強調から、阿弥陀仏の18願も真実信心を与える願であるという点をとりあげて解説をいたしました。