Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
18願成就文の「即得往生住不退転」は親鸞聖人まではどのように解釈されていたのでしょうか?(Kさんのコメント)
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090814/1250242562#c1250404563
親鸞聖人以前の、伝統の浄土教の解釈は、往生も、不退転も死後のことというものでした。
ですから、「即得往生住不退転」というのも、親鸞聖人のように、現在生きている間に、往生定まり、正定聚不退転の位に入るという解釈ではなく、死後の事です。
易行道とは、謂く信仏の因縁を以って浄土に生まれんと願ず、仏の願力に乗じて便ち彼の清浄の土に往生を得る、仏力住持して即ち大乗正定の聚に入る(曇鸞大師・浄土論註)
これも死後の往生、死後に正定聚の数に入ると解釈されたものです。
それに対して親鸞聖人は、末灯鈔にも信心獲得した人が、死んだ後ではなく生きている時に、正定聚に入り、不退転に入るのだと教えられました。
真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。」(末灯鈔1)
このように言われたのも、従来の浄土教の解釈にはない、親鸞聖人独自のものです。
このように明らかにされたのは、親鸞聖人自身の阿弥陀仏に救われた体験によるものですが、より仏意を明らかにされたものであって、決して仏が説かないことを言われた、珍しき法ではありません。