前回のエントリーに追記をします。
もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて(領解文)
自力の心を振り捨てよと言われると、「自力の心がふりすたった自分」にならないと救われないように思いますが、それは違います。
「自力がふりすたった自分」という条件をつけるのは、すべての人を救うという阿弥陀仏の本願とは異なります。
自力の心が邪魔になるというのは、阿弥陀仏がいわれることで、私がいうことではありません。
阿弥陀仏が、私たちを救う上で邪魔になるのが自力の心であって、救われる私になるための条件が自力を捨てよではありません。