ぺんぺん草さんからコメントを頂きました。有り難うございました。
救われたのと信心とは因果関係にない、ということですが、それは違うように思います。親鸞聖人が「正定の因はただ信心なり」と「正信偈」に言われているのだから、やはり因果関係にあるように考えています。
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090727/1248705961#c1248746988
こう考えるのは間違いでしょうか?(ぺんぺん草さんのコメント)
回答します。
阿弥陀仏に救われたということと、信心(獲得)は、同じ事なので因果関係にはありません。
あほうどりさんのコメントにあるように
正定之因唯信心(正信偈)
の信心が往生成仏の因であるということです。
即入寂静無為楽
必以信心為能入(正信偈)
といわれてれいる、弥陀の浄土に往生し、仏の覚りをひらくには必ず信心が必要という意味です。
正定聚の数に入ることを、信心獲得ともいいますが、信心獲得したことによって、正定聚になるとはいいません。
図式化しますと
(因)信心(入正定之聚)→(果)往生
となります。
ぺんぺん草さんのコメントからすると
- (因)信心→(果)正定聚
- (因)正定聚→(果)成仏
ということだと思いますが、南無阿弥陀仏(信心)は、私たちを弥陀の浄土に往生させるためのものです。
(因)信心→(果)正定聚 とすると、南無阿弥陀仏は、私たちを正定聚の位に入れるために造られたということになります。阿弥陀仏の本願は、私たちを、正定聚の位に入れさせるための本願となってしまいますので、それでは間違いとなります。