安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

信心は助かる条件なのでしょうか?(頂いた質問)

信心は助かる条件なのでしょうか?(頂いた質問)

こちらは、Peing 質問箱に以前頂いた質問です。
信心は助かる「条件」なのでしょうか | Peing -質問箱-
これに加筆する形で記事を書きます。

助かるというのが、浄土に往生し仏になるという意味でいうと、信心は助かる条件といえます。それを信心正因ともいいます。

信心正因唯信正因ともいい、唯信独達をあらわす。浄土真宗における往生成仏の正しき因は信心一つであるということ。「正信偈」に「正定の因はただ信心をもつてす」(浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P229)以下略
浄土真宗辞典

また、信心そのものの言葉の意味から言えば、浄土真宗で言う信心は、阿弥陀仏の本願を聞いて疑い無いことです。

真実信心(略)無疑心のことであって、疑心なく本願の名号を受領した心をいう。これは大行である名号のはたらきが衆生にまさしく至り届いたすがたとされる。(略)
浄土真宗辞典

その意味では、本願に疑い晴れたことを「助かる」というのであれば、「信心は助かる条件」ではなく、信心は助かったことと言えます。

実際に、そのような文脈で特に会話で使われる場面もみられます。
「信心を獲ましたか?」と「助かりましたか?」はほぼ同じ意味合いで語られると思います。


質問の意図からすると、そのあたりの定義は曖昧なところがあると思いまが、最初に揚げた意味で言われているのだと思います。

そこで、信心が助かる条件ならば、どうやって信心を獲たらいいのかという話になります。信心といわれても今一つ分からないとなると他に何か往生成仏の道はないものかと考えたくもなります。
しかし、信心は先ほど「真実信心」の定義を書きましたが、疑心無く本願の名号を受領した心のことです。私がどうにかして起こした信心ではなく阿弥陀仏から南無阿弥陀仏の働きを私が疑い無く聞き入れたことをいいます。


「条件」といわれるところに、心理的なハードルを感じておられるのだと思いますが、私の方でなにかその条件をクリアしなければならないというものはありません。ただ今助けるという南無阿弥陀仏をただ今聞いて救われて下さい。