安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

信心決定し、報土往生するのが浄土真宗(メールで質問)

メールで質問を頂きました。有り難うございました。

友人が急に次のように言ってきたのでびっくりしてしまいました。
「自分はけど往生出来る身になったから、そんなに急げ急げ、今の救いと心配しないでいい」
そこでお尋ねしたいのですが、

  1. 真宗では化土往生を認めていますか?
  2. 認めているとして(19願でしょうが)今、現在判ることがあるのでしょうか。確か臨終来迎までハッキリしないと聞いたことがあるのですが;
  3. 「あなたは19願にいますよ」と信後の方が認定できるのでしょうか。

以上3つよろしくお願いいたします。
(匿名のメールでの質問)

回答をいたしますが、その前に、「化土往生できる身になった」ということが、「報土往生をいそがなくてよい」という理由にはなりません。往生浄土は一人一人のしのぎですが、化土と報土と、どちらに行きたいですか?とその方にお尋ねしたいと思います。
化土の方が素晴らしいと思っているからそのようにいわれるのでしょうか。それなら理屈も判りますが、報土往生をしたくないのでないかぎり、「化土往生出来る身になったから急がなくて良い」というのは、安楽椅子に腰をかけているだけです。阿弥陀仏の救いではありません。

お尋ねの件ですが、
1について、浄土真宗では化土往生を認めているというのは、存在するかしないかということならば、化土往生というものがあるということは書かれています。
2の質問は、仮定の話ですから、回答は難しいです。化土往生の人が現在いるとしても、「だからどうしたのですか?」という類の話です。
仮に、諸行往生だといたしますと、これは臨終来迎ですから平生に自覚はありません。
3の質問ですが、真実信心なら、当事者と阿弥陀仏の間でのことですから、わかりません。ただこれは真実信心のはなしなので、「化土往生している」と自称している人に関しては、諸行往生しようとしている人でしょうから、現在ただ今においては、真実信心の人ではないということになります。
「19願にいますよ」という言い方は、あまり適当ではないので「報土往生できませんよ」というくらいでよいと思います。

最初に書きましたが、浄土真宗は、真実信心をただ今阿弥陀仏より獲得し、報土(極楽)往生即成仏するという教えです。親鸞聖人も蓮如上人もそれ1つを勧められました。

「真実信心をうれば実報土に生る」と教えたまえるを浄土真宗とすと知るべし。(唯信鈔文意)

「真実信心を獲得すれば弥陀の報土(極楽)に往生する」と教えるのが浄土真宗であると親鸞聖人は言われています。

蓮如上人も同様に

信心を決定せずは、今度の報土の往生は不定なり。(御文章5帖目11通・御正忌)

信心決定しなかったら、報土往生はできないといわれています。
だからこそ、信心決定せよと勧めておられるのです。

あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと、朝夕思いはんべり。(御文章4帖目15通・大阪建立)

現在ただ今救われるのが阿弥陀仏の本願ですから、ただ今阿弥陀仏の本願に救われていないということは、報土往生ができないということです。それが一大事だと蓮如上人は言われています。

この一流のうちに於て確々とその信心のすがたをも得たる人これなし。かくの如くの輩はいかでか報土の往生をば容易く遂ぐべきや。一大事というはこれなり。(御文章1帖目5通・雪の中)

浄土真宗の人の中で、真実信心を獲た人がなかなかいない。それらの人は死んで弥陀の極楽浄土(報土)に往生できない。一大事というのはこのことなのだといわれています。
現在弥陀に救われていないことが、それこそ一大事なのです。

また、御文章に「化土」という言葉は一カ所も出てきません。「報土往生」や「報土の往生」という言葉は27カ所、「浄土」という言葉(「浄土宗」は除く)は33カ所でてきます。
80通の御文章で、「報土(極楽・浄土)」に関する言葉が、60カ所もでてくるのに対して、「化土(辺地)」は、0です。

このことからも「化土往生」を勧めるのは浄土真宗ではありません。
ただ今弥陀に救われ、信心決定の身になり、報土往生を遂げるのが浄土真宗です。