安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

三願転入のどこに願力によって進んだと書かれているか?(よこやりさんのコメント)

よこやりさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

友人に話していたら、「三願転入の御文に『論主の解義を仰ぎ宗師の勧化によりて』19願20願を通って18願に出た、と書かれてあり、
『願力によって進んだ』とは書かれていない。善知識のお勧めで19願20願を進むのだ。」と言われました。
確かにそのように読める気がします。
どのように解釈すればよいでしょうか?よろしくお願いします。
(よこやりさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090223/1235347967#c1235397778

上記質問について回答をいたします。

ご質問の三願転入の御文は、以下の通りです。

ここを以て、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く雙樹林下の往生を離れ、善本・徳本の真門に廻入して、偏に難思往生の心を発しき。然るに今特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入し、速に難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓、良に由有るかな。(教行信証化土巻)

長い御文なので、該当部分を取り上げて解説します。

愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行・諸善の仮門を出でて

この親鸞は、善知識方のお導きによって、19願(万行諸善の仮門)を出て、と言われている部分です。
この部分について

『願力によって進んだ』とは書かれていない。善知識のお勧めで19願20願を進むのだ。」(よこやりさんのコメントより)

と、言われる方があったとのことです。
結論から先に言いますと、この19願に、「20願の世界に出させる」という阿弥陀仏の願力が働いているのです。19願、20願を出たと行ってもそれは、阿弥陀仏の願力によります。
善知識の勧めだけで、19願や20願は進むのでしょうか?


19願も20願も、阿弥陀仏が18願のただ今の救いに会わせるために建てられた願です。十方衆生を相手に、阿弥陀仏がこのようにしてみせると誓われているのです。
十方衆生に対して、このようにしてみなさい、私は何もしませんという願ではありません。
親鸞聖人もご和讃に、阿弥陀仏が19願を建てられた御心をご和讃に

至心発願欲生と
十方衆生を方便し
衆善の仮門ひらきてぞ
現其人前と願じける

と書かれています。まことの心で弥陀の浄土に生まれたいと願いを起こさせ(至心発願)すべての人を導く(十方衆生を方便し)というのが、阿弥陀仏の19願の御心であるといわれています。

加えて、阿弥陀仏の救いにあうのに、18願の世界に出るときだけ阿弥陀仏の願力が働くのでしょうか。阿弥陀仏の救いにあうまで、阿弥陀仏の光明(願力)は、すべての人にかかっています。
19願、20願のときは、知識のすすめだけで、進むのは自分自身、18願だけ他力だから阿弥陀仏のお力というものではありません。

私たちで言えば、元の善知識はお釈迦様です。阿弥陀仏と、お釈迦様(善知識)のはたらきによって、弥陀の救いまで導かれるのです。

釈迦弥陀は慈悲の父母
種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまいけり(高僧和讃)

釈迦と阿弥陀仏は慈悲の父であり、母である。いろいろと方便をされ、私たちに真実信心を獲得する身にさせて下されるのだといわれています。

三願転入で親鸞聖人が阿弥陀仏に救われた体験を告白されているのも、もちろん善知識方のお導きあっての上ですが、導きというのは道案内人のようなものです。実際に私をして引っ張り、真実信心の世界まで押し出して下さっているのは阿弥陀仏の願力ですから、いつも「阿弥陀仏の願力によって」と解説しています。

三願転入の最後に、親鸞聖人が

果遂の誓、良に由有るかな。(教行信証・化土巻)

といわれているのは、その告白です。果遂の誓いとは、阿弥陀仏の20願のことですが、18願の世界に必ず出させてみせる(果遂)というお約束がまことだったと言われています。
その阿弥陀仏が必ず18願の世界まで出させてみせるという本願が本当だったと言うことは、阿弥陀仏の願力で、18願の世界に出させて頂いたと言うことで、善知識の勧めのみで出たと言うことではないのです。

また、ご不明の点があればコメントをお願いいたします。