安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

会長:「19願に『十方衆生』とあるから『修諸功徳(親鸞会の行事に誘う。親鸞会の経費を負担)』せよ、18願の『十方衆生』は、定散の機に限る(親鸞会の活動に従事した人)(9月18日二千畳座談会参加者より頂いた情報)

2011年9月18日に行われていた、親鸞会館(富山県射水市)二千畳座談会について気になったところを書きます。

9月18日の二千畳座談会からわかることは、「親鸞会的三願転入理論」が完全に破綻したことです。現在会員でこのエントリーを読まれた方は、直ちに退会されることをお勧めします。

完全に破綻した理由を以下に列記します。
以下、会長の主張

  • 19願の相手は十方衆生→だから善をせよ。善をしない人は19願の軌道に乗らない。
  • 19願→20願→18願だから、18願の相手は、定散諸機に限る。
  • 今まで、19願の対機を「十方衆生」とあるからという理由だけで「すべての人」と言っていたにもかかわらず、18願の対機は、事実上「定散の機」に限る解釈になるので、矛盾。

雑行(定善・散善をやったこと)のない者に、雑行が廃ったということがないということは、雑行の無いものに無碍の一道に救われた者はない。(2011年9月18日二千畳座談会・会長の発言)

この会長の発言からわかることは、19願の十方衆生は全ての人だから、善(主に親鸞会で言うところの法施(親鸞会教義を伝えること・750回忌に人を誘うこと)と財施(とにかく親鸞会が必要な経費を出すこと)をせよとのことです。

それに対して、18願の十方衆生は「定善・散善を実行して自分は五逆罪、謗法罪と知らされたものに」と言っています。
しかし、親鸞聖人は正信偈を説かれる前の偈前の文に18願の機は「一切善悪大小凡愚なり」と言われています。

その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。(教行信証行巻・正信偈 偈前の文)

「18願」の対機が「定散諸機」に限定されないことは明らかです。
このように明らかに親鸞聖人が18願の対機は「一切善悪大小凡愚」と言われているのに対して、「19願にある定散諸機」でなければ「親鸞会的三願転入」できないといっています。これが、前回のエントリーにある「真摯な親鸞学徒」といえるでしょうか?

親鸞会会員で、このエントリーを読まれる方がもしあれば、「親鸞聖人の教え」に従うのが「真摯な親鸞学徒」であって、「高森会長が言うことにだけ従う」のは「高森学徒」であって、「親鸞学徒」ではないことを知って頂きたいと思います。

仏の勧めるところに従うのが本当の仏弟子です。お釈迦さまは、末代の凡夫に対して「阿弥陀仏の18願力によって救われよ」としか勧められていません。
まして、全国に会館を建てよとは言われていません。

「(自分が思う)正しい教え」を伝えられたら、それで満足でしょうか?
「私が往生浄土し、仏のさとりを開く」ための阿弥陀仏のご苦労であったのです。親鸞聖人のご苦労だったのです。仏の教えをねじ曲げる者に従えば、お釈迦様のご苦労も、親鸞聖人のご苦労も無になってしまいます。

阿弥陀仏の本願は、私一人の為の本願です。「500年に一度の善知識」の我欲を満たす道具ではありません。私一人を救うための本願力をただ今聞いて救われて下さい。