安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

具体的な方法論(近道)は、仏法にありません(元自称福徳会員さんへのコメントより)

元自称福徳会員さんへ
コメント頂き有難うございました。
コメント遅くなりすみませんでした。

(全文はこちら)
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080726/1217065695#c1218054518

もう一度、親鸞聖人のお言葉を出して親鸞聖人は19願をどのように教えられているのかを原文に沿って忠実に述べた後で、親鸞聖人のお言葉を出して、高森教とのGapを埋めてみてください。

とのことでしたので、これについて回答しようと思いましたが、

19願の軌道に乗せるのが難しいと言うのであれば、どうすれば19願の軌道に乗ることができるか、親鸞聖人は詳しく書かれているはずだよね。どこに書いておられるのでしょうね。場所とすれば三願転入のご文の直前が適切ですよね。きっと、山も山さんが教えてくれますよ。
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080726/1217065695#c1218112216

というコメントがその後についていましたので、先にこちらについて回答します。

「三願転入の御文」は、りかちゃんのコメントにもありますように、教行信証化土巻に親鸞聖人が書かれているお言葉です。そんなに大事な御文なら、総序や、信巻に出ているはずだということは、仰言るとおりです。

「三願転入の御文」は、親鸞聖人の体験告白文でありますから、もしこれが一番大事と言うことになると、内容が、万人に共通するような書き方とは言っても、体験告白が一番大事ということになってしまいます。

もちろん、仏法を真剣に求めている人には、どうしても説かれる方や、どんな体験なのかということを知りたいという心がでてきます。そこで、体験を強調する人がいると、その人の話を聞きたいという心が出てきます。

ただ大事なのは「教え」でありますから、親鸞聖人の教行信証は、「教え」が書かれています。
加えて言えば、「体験告白」は、文字通り「体験告白」ですから、親鸞聖人ご自身も体験せられた上で言われているお言葉ですから、信前の求める道中に具体的に自覚しておられたのではありません。

「具体的に19願に乗れる方法がある」なら、それは行者がなにかする具体的なことがあり、その通り実践すれば、19願の軌道に乗れる、やがて救われるというのであれば、我々の自力が間に合うと言うことになります。

以前のエントリーで書きましたが、三願の主語は阿弥陀仏です。親鸞聖人は、「阿弥陀仏の三願で救われた」と言われています。
「親鸞は、阿弥陀仏の三願に説かれているとおりに実践したら、その結果救われた」と言われているのではありません。

何か具体的にしたあのことがあって、その結果救われたとは、教行信証のどこにも書かれていません。
書かれてあるのは、「雑行を棄てて本願に帰す」という一文だけです。
(雑行を棄てさせて下さるのも、主語は阿弥陀仏です。)

教行信証総序には
「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を喜べ」
と書かれています。

「他力の救済」にあったということは、「行者の具体的な行動」とは無関係な信心ですから、「たまたま」としか言いようがないのです。
「噫弘誓の強縁は多生にも値がたく」といわれていても、
「どうやってその弘誓の強縁にあわれたのですか?」と聞いてみても
「たまたま」であり「遠く宿縁を喜ばずにおれない」と書かれているのです。

以前のエントリーでも「真剣に求めよ」とは書きましたが、具体的に○○しなければ救われないとは書かなかったのはそのためです。

具体的な方法論が本当にあるというのは、近道があるということであり、それを秘密の法文と、善鸞は言い始めたのです。
そんなものは浄土真宗にありません。