安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「阿弥陀仏の本願に救われるには、まずお釈迦さまの教えに従って行かねばならない。お釈迦さまの教えは善の勧めだから、善に励まねばならない」と親鸞会で聞いていますが、本当でしょうか?(頂いた質問)

「阿弥陀仏の本願に救われるには、まずお釈迦さまの教えに従って行かねばならない。お釈迦さまの教えは善の勧めだから、善に励まねばならない」と親鸞会で聞いていますが、本当でしょうか?(頂いた質問)

確かに、親鸞会公式ホームページにも

阿弥陀仏の本願一つ説くことを出世の本懐とされた釈迦が、なぜ廃悪修善をかくも勧められるのか。(一切経は「浄土の方便の善なり」浄土真宗講座|浄土真宗 親鸞会公式サイト

と書かれてありました。

実際に親鸞聖人の書かれた教行信証によると、お釈迦さまが阿弥陀仏の本願一つを説くために廃悪修善を勧められたと言われたところはありません。
今回は、教行信証信巻に親鸞聖人が善導大師の観無量寿経疏散善義・深心釈から引文された部分を紹介します。

また深信するもの、仰ぎ願はくは一切の行者等、一心にただ仏語を信じて身命を顧みず、決定して行によりて、仏の捨てしめたまふをばすなはち捨て、仏の行ぜしめたまふをばすなはち行ず。仏の去らしめたまふところをばすなはち去つ。これを仏教に随順し、仏意に随順すと名づく。これを仏願に随順すと名づく。これを真の仏弟子と名づく。(教行信証信巻・浄土真宗聖典(註釈版)P218

ここは善導大師の散善義・深心釈を引文されている部分で、真実信心とは何かについて書かれている部分の一部です。
ここで「ただ仏語を信じて」というのは、お釈迦さまの言葉を信じてということです。
仏の捨てしめたまふをばすなはち捨て」とは、お釈迦さまが捨てよと言われたものを捨てなさい。ここでは雑行を捨てよ、自力を捨てよということです。
仏の行ぜしめたまふをばすなはち行ず」とは、お釈迦さまが行じなさいと勧められるものを行じなさい。ここで行じなさいと勧められているのは、頂いた念仏を行じなさいということです。
仏の去らしめたまふところをばすなはち去つ」とは、お釈迦さまが去りなさいといわれるところから去りなさい。これは雑縁に近づくな、雑縁からされということです。

その通りにする人が
これを仏教に随順し、仏意に随順すと名づく。」お釈迦さまの教えに従い、諸仏の御心に従うことになるのです。
これを仏願に随順すと名づく。これを真の仏弟子と名づく。」それをまた、阿弥陀仏の本願に相応した人であり、真の仏弟子と名づくといわれています。

まとめると、お釈迦さまが「捨てなさい」「行じなさい」「去りなさい」と言われたとおりにする人が、お釈迦さまの教えに従った人です。

自力で悟りを開く道を進む人なら、そのための修行も有るでしょうが、親鸞聖人の教えは阿弥陀仏の本願です。その阿弥陀仏の本願を説かれる上で、お釈迦様が教えられたのは、「自力を捨てなさい」「念仏を行じなさい」「雑縁乱動するところを去りなさい」です。

親鸞会は「自力一杯行じなさい」「念仏はお礼です(だから特に勧めない)」「親鸞会に残りなさい」ですから、全く逆のことを主張していますから間違いです。