安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「わかる」と「体験」の違いについて(元自称福徳会員さんのコメントより)

親鸞会館のご法話に参詣しており、返事が遅くなりすみませんでした。

元自称福徳会員さんのコメントより
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080704/1215183799#c

上記コメントから、まだ以下の部分について回答していない部分があるとのことでした。
(全文はこちら http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080628/1214657835#c1214762007)

前回のコメントについては、ほぼお答えしたと思っていますが、まだの部分は以下の部分でしょうか。

以下の部分について回答いたします。

19願の善、20願の善(念仏)を行うことができたから助かるのではない。」と聴かされた(理解した)上で、「19願の善、20願の善は方便である」などと思わずに、真剣に実行することは可能でしょうか?

ここの部分については、前回のエントリーでお答えしました。
「私たちのやる諸善や念仏が間に合って助かるのではない」と聞かされても、やらずにおれなくなるのが、体にかけて求めている人の心です。
そう言う心に阿弥陀仏によってさせられるのです。

そこには矛盾が生じていると思います。その言い訳として「未信のものは方便・真実はわからない」と言うことだと思ってしまいます。その根拠が以下の通りと言うことですから。

化の仏土とは、下にありて知るべし。すでにもって真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。ゆえに知んぬ、報仏土なりといふことを。まことに化の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。これを方便化身・化土と名づく。真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。これによりて、いま真仏・真土を顕す。これすなはち真宗の正意なり。経家・論家の正説、浄土宗師の解義、仰いで敬信すべし、ことに奉持すべきなり。知るべしとなり。

の中の「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」

そこで「未信のものは、方便・真実は分からない」とのことですが、
まったくなんにも分からないということではもちろんありません。

真実は何かと言われれば、「18願の世界であり、弥陀の救いであり、一念の救いの世界である」ということは、「わかっている」と思います。
「真実の世界に出ないと、真実が真実とわからない」ということは
「一念で救われてみなければ、一念の救いであったとはわからない」ということです。
「合点と体験は違う」というのと同じです。
「火は熱いものだと知っている」のと、「火は熱いと体験した」のは違うということです。
この火の譬えで言いますと、「火が熱いと火傷をした人」は、火傷するまで「火が熱いということを知らなかった」ということはありません。
「火は熱い」とわかっていたからこそ、「本当に熱かった、熱いとはこういうことか」と知らされるのです。

真実に救われるまで、何もかも分からない、それがある日突然救われて、救われてみればすべてが分かったということではないのです。

それならば、教えは不要になってしまいます。
教えがあって、教えの通りに救われたということがあり、
弥陀に救われた世界があるから、そこはどんな世界であると教えられるのです。

あれこれ想像した通り寸分違わぬ世界なら、不可称不可説不可思議とは言われませんが、救われた人が、また教えを聞けば、教えの通りであったとまた知らされるのです。

反対に、救われたら何もかも、教えのすべてが分かると言うことではありません。

教行信証真仏土巻のお言葉は、

なにが真仏土(弥陀の浄土)に生まれる因かわからないから、救われないといわれているお言葉です。

では、何が弥陀の浄土に生まれる因かということは、「教え」として、「わかって」おられるのではないかと思います。

「もろもろの雑行を投げすてて、一心に弥陀に帰命すれば」ともいわれ、「弥陀をたのめ」ともいわれ、「他力の信心を獲るというも、これしかしながら、南無阿弥陀仏のこころなり」とも言われているのです。

その「教え」を、「教えの通りであった」と知らされるところまで進むのであって、それまでは、「教えをきく」のですから、全く何もわからないということではありません。


何もわからないなら、「合点行かずば合点ゆくまで聞け」とはいわれません。

また、コメントにいただきました、

蓮如上人は「どうやって」について書かれておられません。親鸞会に在籍中は「聴聞・お勤めをして、破邪顕正や財施をしていけばやがて宿善が厚くなり、善のできない自分と知らされて、雑行(自力)が廃る」と漠然と理解していました。しかし、今はその考えは間違いであると認識しています。「では今はどのように?」と言う話になりますが、保留にさせてください。

お答えいただくのはいつでも結構です。
ただ、ここはとても大事なところなので、よくよく考えてみてください。