安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「この心は阿弥陀様がなんとかしてくれると思って気にしないで念仏すれば時間が解決してくれますか?」みそみそさんのコメントより

anjinmondou.hatenablog.jp
のコメントについて書きます。

みそみそ 2020-06-11 17:36:04

ご回答いただきありがとうございます。
しかし南無阿弥陀仏と何度唱えても肝心の疑心がなくなりません
この心は阿弥陀様がなんとかしてくれると思って気にしないで念仏すれば時間が解決してくれますか?

時間は解決してくれません。南無阿弥陀仏に時間を加えてはじめて救いが現れるというものではないからです。
阿弥陀仏の本願が成就したのが南無阿弥陀仏ですから、もし時間を加えてからでないと救いが現れないというのでは成就とはいいません。

また、疑心をなくす目的で南無阿弥陀仏と称えても、それで疑心は晴れません。なぜなら、称名念仏を自分が疑心を晴らす為の手段として使っているからです。その時点で、南無阿弥陀仏が阿弥陀仏が私を救うための法そのものではなく、私の道具となっています。

おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもつておのれが善根とするがゆゑに、信を生ずることあたはず、仏智を了らず。(教行証文類化身土巻本 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P412)

http://urx3.nu/BuMw

「本願の嘉号をもって己が善根とす」という状態になっています。阿弥陀仏の本願によって成就した南無阿弥陀仏を自分の道具として使っていると、救われないと言われています。

なぜそれでは救われないのかと言えば、言い替えると私がいるこの迷いの世界から離れるには、迷いの世界の何かに依っては出来ないからです。自力では出ることが出来ません。少し視点を変えていいますと、私の住んでいる世界を仮に2次元のマンガの世界だとしますと、マンガの世界の人物がいくらここから出たい、出してくれと言っても外に出ることはできません。仮に、マンガの中で「マンガの外に出た」という描写があっても読者から見れば一目瞭然ですがそれもマンガの世界です。

仮に出ることが出来るとすれば、それはマンガの世界ではない力に依らねばなりません。


もちろん、阿弥陀仏は私を助ける為に本願を建てて下さっています。その本願が成就したのだ南無阿弥陀仏です。
ですから、南無阿弥陀仏は私が「どうか迷いから出してください」と願ったり「疑いよ晴れよ」と疑心を晴らす魔法の言葉でもありません。

阿弥陀仏の方から「迷いから出すぞ」「ただ今助ける」「疑いを晴らす」と呼びかけられるのが南無阿弥陀仏です。

自分が救われるために南無阿弥陀仏と称えるのではなく、阿弥陀仏からの呼びかけとしての南無阿弥陀仏であると聞いて下さい。ただ今救うと呼びかけておられますから、それを聞いてただ今救われて下さい。