安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「自分が後生どうなるかは阿弥陀様に丸投げしてしまえば良いのでしょうか?」(みそみそさんのコメント)

anjinmondou.hatenablog.jp
のコメント欄に頂いたコメントについて書きます。

みそみそさんのお尋ねと、皆さんのコメントです。

みそみそ 2020-06-15 18:57:52

ありがとうございます。つまりは私の救われようとするあらゆる試みは無意味ということですね。

自分が後生どうなるかは阿弥陀様に丸投げしてしまえば良いのでしょうか?


ミリダン王 2020-06-15 20:00:20

阿弥陀様に丸投げでよいと思います。
往生のために私たちにできることは何もありません。
おかるさんの「往生はなげたなげた」とか、庄松さんの「往生のことはあれに聞け」という言葉がありますでしょう。
聞其名号であり、わが名を称える者を往生させるというお心であり、まかせよ、安心せよのお心です。
すでに与えられている南無阿弥陀仏に安心できれば、それ以外に必要なものは何もありません。


みそみそ 2020-06-16 19:03:43

何でか分かりませんが、まかせきれません。信じることが出来ません。

もしかしたら、教え自体が人生とか死生観と向き合う為の考え方の一つなのではないのかなと思います。

臨終になって「こんなはずじゃなかった」「聞いていたのと違う」と崩れてしまって、後悔しながら死んでいく。もしかしたらそんな教えなのかもしれないと思ってしまいます。


愚愚流 2020-06-16 19:57:12

どこまでも信じることができないから、南無阿弥陀仏として信心を与えて下さるのです。


でん 2020-06-16 20:22:04

任せようとすることも自分の行い。
ここでいう任せるというのは、
受け入れることではないでしょうか。

https://anjinmondou.hatenablog.jp/entry/2020/06/12/235245

みそみそさん、全てを阿弥陀仏に丸投げされたらよいです。
そこで、なかなか信じ切れないとのことですが、浄土真宗の「教え」とは、考え方の一つではありません。阿弥陀仏の本願によって、浄土に往生し仏のさとりをひらくという教えです。

(1)
弥陀の本願信ずべし
 本願信ずるひとはみな
 摂取不捨の利益にて
 無上覚をばさとるなり(正像末和讃  浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P600)

http://urx.blue/U58c

親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願を信ずることをすすめられ、本願信ずる人は摂取不捨の利益によってこの世もその信心は崩れることなく、浄土に往生すれば仏のさとりをひらくと言われています。

また臨終になって崩れてしまうのではとの心配も書かれていましたが、自分で信じる要素がある救いではないので、私の状態が臨終でも、元気な時でも崩れることはありません。

阿弥陀仏にまかせると言っても、何か一大決心をして大変化を遂げようと思うというイメージをもつと中々足が前に出なくなってしまいますが、自分を大きく変えるのではなく、南無阿弥陀仏がそこまで助けるとよびかけられるのならば、試しに救われてみようというくらいに仰せをひとまず聞いてみて下さい。
救われても崩れるのではと心配する前に、まずは試しに救われて下さい。