yamamoya

浄土真宗の信心についての問答

「私が今救われるかどうかも阿弥陀仏次第。私が今生で救われるかも阿弥陀仏次第。私が未来永劫救われないのも阿弥陀仏次第。以上のように理解しておりますが、どこか間違ってますでしょうか?」(ぷろぐれすさんのコメント)

ぷろぐれす 2019-10-18 15:15:55
(略)
質問です。
私のすることは何もない。阿弥陀仏は常に私を救うと呼び続けている、ということも私の方から信じる必要はない。
全て阿弥陀仏のお働きです。
私が今救われるかどうかも阿弥陀仏次第。
私が今生で救われるかも阿弥陀仏次第。
私が未来永劫救われないのも阿弥陀仏次第。
以上のように理解しておりますが、どこか間違ってますでしょうか?
宜しくお願い致します。

https://anjinmondou.hatenablog.jp/entry/2019/10/05/041838

間違ったところがあるといえば、「私が今救われるかどうかも阿弥陀仏次第」からは間違いということになります。


理由は、救いは阿弥陀仏の力によるのですが、阿弥陀仏の方から言えば私を救わない(救えない)という選択肢はないからです。
少し、細かく書きます。そういうつもりで書いたのではないという箇所があればまた、コメント欄で教えて下さい。
「救われるかどうかも阿弥陀仏次第」の部分は、救われるか救われないかどちらも可能性があるという気持ちで書かれているのだろうと思います。また、阿弥陀仏の方で救うかどうかの選択肢があるようにも感じます。先にも書きましたが、阿弥陀仏の本願は、私を必ず助けるというものですから私の方から言っても「救われるかどうか」ということはありません。

ですから「私が未来永劫救われないのも阿弥陀仏次第」ということもありません。「未来永劫救われない」ということは、気持ちとしてあるとは思いますが、阿弥陀仏の方から言えばそんなことはありません。すでに私を救うという本願が成就して南無阿弥陀仏となって下さっています。


すべて阿弥陀仏の力によるので、自力の信心ではどれだけ信じにかかっても救われることはありません。しかし、親鸞聖人は信心を勧めておられます。

(1)
弥陀の本願信ずべし
 本願信ずるひとはみな
 摂取不捨の利益にて
 無上覚をばさとるなり(正像末和讃 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P600)

https://bit.ly/2pwhomB

自分で思いを強くして固めるような信心ではありませんが、「阿弥陀仏は必ずただ今救うと呼びかけられているのが南無阿弥陀仏である」と信じて下さい。ぷろぐれすさんの文章の内容は、阿弥陀仏が救って下さるかどうかはよくて五分五分で、未来永劫助けて下さらないかもしれないという前提で書かれていると思います。


自分の力で助かろうというのをあきらめるのは悪いことではありませんが、阿弥陀仏もあきらめることがあるのではないかと思うのは間違いです。南無阿弥陀仏は、ただ今助けるとの喚び声だと称え聞いて下さい。ただ今救われて下さい。