安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「廻心・聞いたものとかが助かるのではなく、仏法を聞かない・信じない本当の闡提に対してのご回答が聞きたいです。」(名も無くさんのコメントより)

名も無く 2017/05/27 23:05
(略)廻心・聞いたものとかが助かるのではなく、仏法を聞かない・信じない本当の闡提に対してのご回答が聞きたいです。

18願には「唯除五逆誹謗正法」とありますが、これもどんな人も助けるということであり罪を問題にせよという意味ではないだろうなと思います。(Kさんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について) についてのコメントを頂きました。有り難うございました。
上記のエントリーでは、五逆・謗法の者について書きました。
確かに、阿弥陀仏の本願では、「唯除五逆誹謗正法」とありますから、闡提については書かれていません。

そこで、闡提について書いて見ます。
闡提とは、コメントに書かれているように「仏法を聞かない・信じない人」のことです。
浄土真宗辞典には、以下のように書かれています。

いっせんだい 一闡提
梵語イッチャンテイカ(icchantika)の音訳(略)略して闡提ともいう。また、断善根・信不具足と意訳する。世俗的な快楽を追求するのみで正法を信じず、さとりを求める心がなく成仏することのできない衆生のこと。浄土教では、これらのものも回心すれば往生することができると説く。『法事讃』には「謗法・闡提、回心すればみな往く」(信巻引文・浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P303)

闡提も、阿弥陀仏の救いの対象です。ただ、仏法をそもそも聞こうという気も信じる気持ちもない状態のままでは、救われるということには成りません。そこで、上記にあるように「回心すればみな往く」といわれています。

ただ、一闡提といっても自分とまったく違った種類の人のことだとは思いません。たまたま今は法を聞いておりますが、かつては仏法というものを全く知らずに生きてきました。また、聞き始めたといってもその動機は世俗的な快楽よりももっとよいものが手に入るかのような気持ちはありました。

自分のような者でも、今は聞いているのですから、現時点で聞いていない人も、いろいろな縁によって聞かれるようになる人はいます。いつの日かはわかりませんが、必ず南無阿弥陀仏と申して救われます。